絵は、江戸時代後期の藤白神社付近の風景です。
絵図の右上が藤白神社「本社」、「観音堂」が王子権現本堂です。左下に大きな鳥居があるのは有田屋新田へ向う道、その上の駕籠や人通りの多い道が近世熊野街道で、左端から「鈴木家」住宅の前を通る細い道が熊野古道です。
藤白神社の約一㌔東の熊野古道沿いには熊野三所権現の一の鳥居があり、その近くに祓戸王子(別名鳥居王子=海南市鳥居)がありました。現在、その裏山の頂上付近には「祓戸神社趾」と彫られた石碑があり、裏に同王子が明治四十二(一九〇九)年、藤白神社に合祀されたことが記されています。
藤白神社は、熊野九十九王子の中でも別格の五体王子の一つ、藤代王子の跡です。同王子は、上皇らの熊野詣では宿泊所となり、相撲会(すもうえ)や歌会が催されました。境内には建仁元(一二〇一)年の御幸の時に詠まれた後鳥羽上皇の歌碑が建っています。
「本社」・「観音堂」の隣には有間皇子神社があり、熊野古道はそこから有間皇子の墓と歌碑の前を通り、難所の一つ藤白坂へ向かいます。
画=西村中和、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)
(ニュース和歌山/2023年7月22日更新)