鹿瀬峠は東西に連なる白馬山脈の鞍部で、有田郡と日高郡の境界にあたります。ここは手をつかないと登れないほどの急な山道で熊野古道の難所の一つです。
馬留王子は熊野御幸の時、鹿瀬の峠道が険しくなるため、乗ってきた馬をここにとめたことが由来といわれます。しかし、古い記録にはなく、室町時代以降の王子とされています。馬留王子は鹿瀬峠の南北に一か所ずつあり、両王子跡には石碑が建っています。
鹿瀬の大峠付近は平坦地になっており、玉屋・日高屋・虎屋の三軒の茶屋と藩主の休憩所がありました。絵図はそのうち一軒の茶屋の店先をえがいています。小荷物を担ぐ男女、荷駄を運ぶ馬の背に乗る武士など峠を越える人々の登りきった安堵の表情がうかがえます。茶屋で一服する二人に駕籠かきが近寄り、話しかけています。何って言っているのかな。
鹿瀬の小峠を下ると見事な石畳の道が五百㍍余続き、紀伊路で最も古道らしい風景が楽しめます。王子谷には室町時代の緑色片岩製板碑八基が並び、沓掛王子がありました。同王子は、現在、その先の原谷字披喜に移されています。
画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)
(ニュース和歌山/2024年4月13日更新)