㉙紀の川渉
上の絵は、現在の和歌山市東部にあった田井ノ瀬の渡し付近の約200年前の風景です。
大和街道(ほぼ現在の国道24号)は、和歌山城下の欠作丁からまっすぐ東へ延び、田井ノ瀬で紀ノ川を渡りました。なぜ、この地点で紀ノ川を渡るのかというと、小豆島(あずしま)の中州を挟んで紀ノ川が南北に分流し、川幅が広く、普段は流れが緩やかで、水深も浅かったためと思われます。
同渡しは、現在の南田井ノ瀬橋の東側で堤防を下り、手前の川岸から船に乗って対岸へ渡り、小豆島集落の東側をへて右上の永穂(なんご)集落に至りました。 紀ノ川には、渡し船のほかに荷物を運ぶ船や川を下る客船など多くの船が行き交っています。船に乗ると、橋本から和歌山城下まで、一日で下ることができました。しかし、動力船がない時代、川の流れに逆らって下流から上流へ船を進めるには何日もかかりました。右上では、紀ノ川の北岸で船を綱で引っぱって曳航(えいこう)する様子が画かれています。また、木材の上に乗り、舵取りをしているのは筏(いかだ)流しです。吉野から切り出された木材は、筏に仕立てられ、北島から市民会館付近の筏置場に集められました。
田井ノ瀬は、江戸時代に参勤交代の渡河点にあたるなど、交通上重要な場所でしたが、現在もそのすぐ下流に国道24号の紀州大橋、阪和高速道路の紀の川橋、JR阪和線の鉄橋が架かっています。交通の要所は、昔も今も大きく変わらないようです。(和歌山市立博物館館長 額田雅裕)
画=西村中和、彩色=芝田浩子
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江戸期の地誌「紀伊国名所図会」に彩色し、解説する『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載。次回は7月8日号です。
(ニュース和歌山2015年6月24日号掲載)