㉚山口駅より遙かに御城を望む図
上の絵は、和歌山市の山口地区から紀ノ川の下流方面をみた約160年前の風景です。
絵図右側には屏風のように連なる和泉山脈、左側には岩橋山地の花山が画かれています。左端を流れる紀ノ川には数隻の川船が、北岸の大和街道(現国道24号)には大勢の人々が往来しています。
左下の「山口」(現在の和歌山市里)は、和泉山脈の雄山峠を越え和歌山平野に出て、最初の大きな集落です。その左側には、岩出で紀ノ川から取水する六箇井用水が流れ、それに沿って熊野古道が走っています。この付近は、古代の南海道(ほぼ近世の淡島街道)が東西に走り、山口駅(名草駅)のあった所といわれています。
そこから西を眺めると、田園地帯の遥か彼方に和歌山城を望むことができました。
江戸時代には、現在の山口小学校・山口幼稚園がある辺りに紀州藩主の御殿が建っていました。絵図右側の大きな屋根がその山口「御殿」です。同御殿は、湊御殿・西浜御殿など17あった別邸の一つですが、参勤交代の際に藩主が休憩をとるための施設でした。
御殿の右上に見える寺院は、西山浄土宗の遍照寺です。同寺は、梶取総持寺の末寺で、山口荘十ヵ村の菩提寺です。
山口御殿跡の発掘調査では葵紋瓦が出土し、御殿のあったことが確かめられました。絵図では御殿に堀がめぐらされ、南側には石橋が架かっています。その堀の一部と石橋は、今も残っています。
今回で『城下町の風景Ⅱ』の連載は終了します。長らくご愛読いただき、ありがとうございました。(和歌山市立博物館館長 額田雅裕)
画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子
(ニュース和歌山2015年7月8日号掲載)