2015071102iwa

 僧職という立場上、ここで語る政治的な問題に関して私個人が賛成または反対するという趣旨のものでは無いと、まずはお断りしておきたい。

 この度の安保法制、集団的自衛権の行使についての意見は二分され、人の死に関わる職業である身としてどちらがより人命・平和を守る手段になり得るかを考えさせられる。問題が問題だけに、双方の意見には反論の余地を残してしまうのはやむを得ない。しかし、行使に賛成の意見を持つとしても、制約の不十分な自衛は新しい争いの火種を生むかもしれないという懸念を持つべきだと思うし、反対の意見を持つならアジアの近隣諸国との有事など、無いとは言い切れない事態の中で、これからの安全保障をどうするのが望ましいかを棚上げにせず考える必要があると思う。

 自らの立場が固まっても相対する意見に耳を傾ける姿勢は大切だ。今こそ1人ひとりが平和について真剣に考える時であり、それぞれが願う平和のかたちは様々あった方が望ましい。

 軍を持つ先進諸国からしてみると、日本がこのような議題で紛糾しているのは不思議に思えるのかもしれない。しかし先の大戦を経験し、被爆国である日本だからこそ持つ〝正しい緊張感〟かもしれないとも思う。

 政府・与党による主張の論拠とするものが専門家に違憲と言われ、今や議論の入り口まで戻ってしまっている現状があるなど、状況は流動的でこれからまた世論が大きく変わっていく可能性もある。こういった問題に関しては特に、どのような結末を迎えるとしても真剣に、そして慎重に議論された末に出された答えであることを望む。

 今年は戦後70年の節目という こともあり、新聞やテレビで戦後の問題に焦点を当てたものを多く見かける。抑留者、戦没者遺骨、不発弾の除去、歴史認識など問題は山積しており、日本の戦後は終わっていない。そして生きた戦争体験を耳にする機会は減っていく。我々の世代が祖父母の世代から聞いた話を語り継いでいくこと、平和を祈り続けることが宗教界の一端を担う者としての責務だと感じている。

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(ニュース和歌山2015年7月11日号掲載)