1915年、紀の川市竹房で渡し船が転覆し、女学生ら9人が命を落とす悲しい出来事があった。犠牲者を追悼すると共に、戦没者の霊を慰めようと、地元有志でつくる「百合山の自然と遺跡を生かす会」は2002年から毎年8月15日に竹房橋下の河原で万燈会を開く。事故から100年の節目にあたる今年は灯ろう流しを初めて企画。大井一成会長は「年月がたち、地元でも記憶が薄れている。大きな事故があったことを思い出してもらうことが、注意喚起につながれば」と願いを込める。
100年前の9月8日早朝、竹房地区の紀の川は前日降った大雨の影響で増水していた。まだ橋がなかった当時、桃山町側から打田側へ渡るため、32人が乗った渡し船は、急流に流されて転覆。自力で岸に泳ぎ着いた者もいたが、粉河高等女学校生8人と田中尋常小学校生1人が帰らぬ人となった。この事故を機に地元で橋の建設を希望する声が高まり、14年後の29年、竹房橋が完成した。
百合山の自然と遺跡を生かす会は、手軽に参拝できる霊場として江戸時代に開設され、戦後、荒廃していた百合山新四国八十八ヵ所を再興させようと、87年に発足した。春に花祭り、秋にウォークラリーなどを開く。
「百合山新四国八十八ヵ所は荒れた状態から2度、復興しているんです」と大井会長。1度目は1915年の事故を受け、最初の竹房橋が架けられた29年。2度目は現在の竹房橋が完成したのに合わせ、同会が整備し直した87年だ。百合山と山のすぐ北にある橋は深く関係していることから、橋建設のきっかけとなった事故での犠牲者9人を供養し、事故をしのぶ機会をと2002年に万燈会を始めた。
当日はろうそくの火を使い、河原に漢字を浮かび上がらせる。これまでは〝祈〟〝命〟のほか、竹房に阿字岩と呼ばれる弘法大師ゆかりの岩があることから、〝空〟〝海〟を選んだ年も。今年はろうそく700本で〝法〟を点灯させる。
会場では3年前に完成した追悼歌『竹房哀歌』を流す。作詞は同会役員だった故・保田耕志さん、作曲は同市で農業を営みながら音楽活動を行う榎本猛さんが担当した。榎本さんは「100年前の事故については祖母から聞いたことはありましたが、詳しくは知らず、曲を作るにあたりいろいろと調べました。歌を通じ、悲しい出来事があったことを伝え残してゆければ」と語る。
万燈会を始めた理由には、2002年当時、毎年のように竹房橋付近で水難事故が発生していたこともあった。同会会員で元消防団員の信定司郎さんは「確か3人が亡くなった年もありました。ただ、万燈会を開くようになってから、あの場所で亡くなった方は1人と大きく減ったんです」。今年も思いを込め、ろうそくに火を灯す。
午後7時半開始。岩出市の尺八奏者、斎藤釈山さんによる鎮魂の曲演奏もある。ろうそくへの点火を手伝ってくれる人歓迎。雨天中止。同会(0736・77・0090、同市歴史民俗資料館内)。
写真この記事上=東日本大震災があった2011年は、〝絆〟の1文字を河原に浮かび上がらせた
写真この記事下=橋近くの「遭難女学生之碑」で故人を悼む百合山の自然と遺跡を生かす会会員
(ニュース和歌山2015年7月25日号掲載)