名草戸畔

2015090506nagusa

 『日本書紀』第3巻「神武東征」の項には、「6月23日、軍、名草邑(むら)に至る。則ち名草戸畔といふ者を誅(ころ)す」という有名な一文があります。神武東征とは、一般的に、神武率いる軍が北九州から東征し、奈良で初代天皇に即位する物語を神話的に描いたものと考えられています。『日本書紀』によると、名草戸畔は神武軍にあっさり殺されてしまったようです。

 しかし名草地方には、『日本書紀』にはない、神武東征にまつわる伝承がたくさん残されています。「神武軍が毛見の浜に上陸して名草戸畔と戦った入江を『コトが起こる』という意味で『琴の浦』と呼ぶ」とか、「神武軍が船を前進させて逃げるように見せかけながら船尾から接近したので、『船尾』という地名がついた」といったものです。土地の伝承によると『日本書紀』とは違い、名草戸畔はずいぶん勇敢に神武軍に立ち向かったようです。これらの伝承は、名草杜夫氏の『名草王國の盛衰』(昭和50年刊)に記載されています。

 ところが土地には名草氏も採集していない伝承がありました。

 「名草戸畔は殺されていないんです。民を守るために、こうやって剣を差し出して降伏したんです」

 和歌山市三葛在住の郷土史家・小薮繁喜氏は、昭和9年に名草小学校で作られたお芝居の台本を70年以上に渡って保存していました。台本には、名草戸畔が神武軍に降伏して平和に生き延びる物語が描かれていました。

 神武東征自体が史実かどうか正確なところは分からない中、台本の真偽を問うつもりはありません。ただ、この台本や名草固有の神武東征伝承から、この土地では『日本書紀』とは違う名草戸畔の物語が「共有」されてきたことは事実と考えることができます。

 名草に残された数々の伝承は、『日本書紀』を作った王権側ではなく、土地に暮らす人たちの視点でいきいきと語られています。そこには、民を守った遠い昔のご先祖たちを敬う心があります。伝承には、心を豊かにしてくれる宝物がたくさん含まれているのです。(毎週土曜号掲載)

写真=琴の浦にも伝説が残る

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 名草戸畔伝承をもとにした劇団ZEROの公演『名草姫』が10月10日(土)午後1時と5時、和歌の浦アートキューブで開かれます。1000円。チケットは和歌山市民会館などで販売中。また、なかひらさんの著書『名草戸畔〜古代紀国の女王伝説』(1800円)も好評発売中です。 琴の浦にも伝説が残る

(ニュース和歌山2015年9月5日号掲載)