夏の高校野球全国大会が始まって100年。旧制和歌山中学(和中)の伝統を継ぐ桐蔭高校(和歌山市吹上)野球部OBが19日(土)と20日(日)、第1回大会に出場した10校のOBによる記念大会に参加し、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の土を踏む。11月21日には約20人が同校で練習し、ボールの感触を確かめた。和中・桐蔭硬式野球部OB会の山下幸男会長(59)は「100年の歴史の中で、先輩方の偉業や戦争などの苦労があり、野球部の伝統が守られてきた。先輩方の思いを胸に大会に挑みたい」と意気込んでいる。
和中野球部は、1897年に赴任した2人の青年教師が和歌山城砂の丸広場で指導したのが始まりだ。甲子園に夏20回、春16回出場し、1921、22年と史上初の夏連覇、春は優勝を1回達成。野球殿堂入りを果たした近鉄バファローズ元監督の西本幸雄さんらを輩出した、全国屈指の古豪として知られる。
記念大会には同校OBから20~70代の約50人が出場する。21日はシートノックや現役生との練習試合を行い、思い切りボールに飛びついたり、バットをフルスイングしたりと、現役時代に返ったように野球を満喫した。
チーム最高齢の奥野順一郎さん(76)は「ユニフォームに袖を通すと現役時代の記憶がよみがえります。当時の県予選は中之島にあった向之芝球場でした。たしか木製スタンドで、応援団は男子中心。和中時代の先輩や戦地から戻られたOBが毎日のように練習に来て、日が沈むとボールに石灰を付けて練習しました」。
山下尚一さん(56)は「私が現役のころは、校庭のスタンドに大正時代に皇太子が来られた時の観覧席がありました」。住本悦也さん(50)は「和中からのファンをはじめ、桐蔭の試合は客が多かった。紀三井寺は今ほどアルプスが広くなく、一部は外野スタンドと同じ芝生で、決勝は芝生スタンドまで人が入りましたよ」と懐かしむ。
「河野さんと出たかった」。メンバーは2年前に病気で亡くなった河野允生(よしお)元監督の名をあげる。同校を25年率い、県大会優勝と準優勝に各1回、ベスト4に2回導いた。個性の異なる生徒が入部してくる中、一人ひとりの得手を見つけて伸ばすのが得意で、そのキャリアと選手を見る目は周辺校や地域のファンから評価されていた。
着任間もない河野監督の指導を受けた住本さんは「あいさつや道具の管理などができないと特に厳しくしかられました。野球の技術だけでなく人を育てる、そんな監督でした。河野さんが大切にした文武両道を説く和中魂を見せたい」。また、河野さんと同期でコーチとして補佐した奥野さんは「今回の大会を聞くと真っ先に手を挙げたと思います。野球が大好きだったんです」と懐かしむ。
山下会長は「20代から70代まで、50歳近く離れた人たちが、青春時代に白球を追った仲間として集まる。そんな高校野球の魅力が感じられる試合を展開し、球界の活性化に一役買いたい」と話している。
今大会は第1回に出場した広島中OBの山本将司さん(50、広島市)が発案。8年前に全国のOB球児が集うマスターズ甲子園へ出場した際に、同じく第1回出場校の三重四中OBと交流を深め、「100年目に10校で集まろう」と約束し、他の8校に呼びかけた。
当日は10校から約500人が参加。100年前と同じ対戦カードで1回戦のみ。桐蔭は20日午前11時半、久留米商業と対戦。観覧無料。会場で開催費のカンパを募る。
写真=当時と同じデザインのユニフォームも用意した(前列右3人)
(ニュース和歌山2015年12月5日号掲載)