日本最初の人権宣言と言われる「全国水平社宣言」の起草者、西光万吉の遺物が並ぶ資料館が6月、紀の川市西井阪にオープンした。西光が亡くなるまでの半生を過ごした自宅を地元顕彰会が改装。飯田敬文代表は「水平社宣言はフランス人権宣言やアメリカ独立宣言にも負けない価値がある。世界記憶遺産の登録を目指し、差別なき平和な社会の実現を和歌山から発信したい」と話している。

2016073004_saikoumannkit 江戸時代の旧身分制度で差別を受けた人々の人権尊重と世界平和に人生を捧げた西光は1895年、奈良県に生まれる。畝傍(うねび)中学、平安中学で学んだが、差別を苦にいずれも退学。画家を志して上京しその才能を開花させるも、周囲から有望視されるにつれて被差別部落出身ということが明かされることに不安を感じ、帰郷した。

 1920年、幼なじみの阪本清一郎、駒井喜作らと共に部落問題について議論する燕会を立ち上げ、22年に全国水平社を創立。和歌山でも翌23年に和歌山県水平社が発足し、創立大会に集まった2000人の前で熱弁をふるった。「和歌祭の日に開きました。旧身分制度をつくり出した徳川家への反骨精神でしょう」と飯田代表。41年に妻の実家がある紀の川市へ移り住み、亡くなる70年まで「戦争は最大の人権侵害」と非暴力による平和をめざした。

 没後、地元自治体や市民有志によって顕彰碑の建立や刊行物が作成され、毎年3月に偲ぶ会が開かれている。ところが、2007年に妻の美寿子さんが死去、自宅がある土地を売却する話が持ち上がり、15年に市民有志らが西光万吉顕彰会を設立。寄付金を集め、住宅の購入と改修、各地に散逸した遺物を収集してきた。

 資料館は、年表や映像で西光の生涯を振り返り、本人が愛読した世界各地の思想家の本、着用した衣服などが並ぶ。また、絵画6点、自ら脚本を手がけた華岡青洲の舞台ポスターなどを展示している。  午前10時~午後4時。予約制で入館無料。見学希望者は同顕彰会(0736・77・7880)。

写真=差別と闘った西光万吉の生涯にふれることができる

(ニュース和歌山7月30日号掲載)