侍ジャパン 小久保裕紀監督
指揮官として いざWBC
1964年12月8日に産声をあげたニュース和歌山はきょう1月21日発行分が5000号と、おかげさまで大きな節目を迎えることができました。これを記念した記事を8面まで掲載。1面では、3月に迫ったWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンの指揮を執る和歌山市出身、小久保裕紀監督の特別インタビューを掲載します。(文中敬称略)
プロ確信した18歳
──星林高校までの和歌山時代、ニュース和歌山は…。
小久保 見てましたね。覚えているのは、「皆さんコーナー」を見て、猫をもらったこと。あと、ファミコンのカセットのやりとりもしました。最終的には本体ごと譲ることになり、申し込んできた方の家まで行って、「テレビへのつなぎ方が分からない」と言うので私がセッティングしましたね(笑)。「皆さんコーナー」は今も続いてるんですね。
──はい、今も人気コーナーです。ニュース和歌山は創刊から53年目のきょう、〝5000〟号という節目を迎えました。小久保さんもこれまでの野球人生で多くの節目があったと思いますが、印象深い節目について、数字をキーワードに教えてください。
小久保 まずは〝18〟。星林高校で甲子園出場の夢が破れた後、和歌山を離れて青山学院大学に進みました。青学が戦う東都大学リーグはレベルが非常に高く、後にプロ入りした選手も多く戦っていました。そんな環境でプレーする中で、「プロに入れる」と確信できたのが18歳でした。
長距離打者の証
──プロ入り後の数字ではいかがでしょうか。
小久保 一番達成感があったという意味で〝400〟号ホームランですね。プロになり、最初に感じたのが、「自分は長距離バッターとしてしか生きられない」ということで、ホームランには強いこだわりを持っていました。私が16人目で、過去に15人しか達成していない数字でしたので、この世界で長距離を武器にしてきた証を手に入れたみたいな思いがありました。
世界一を獲る
──侍ジャパンを率いて3年あまり。監督としての節目であり、集大成となるWBCが3月に迫ります。
小久保 ワクワク半分、恐怖半分ですね。ワクワクは、これだけのメンバーを率いて世界を相手に戦うんだ、世界一を獲りに行くんだという興奮、緊張感を含めてです。一方で日本中が注目する大会なので、責任感という点では恐怖を感じるのも正直なところです。
──野球王国と呼ばれる和歌山では、地元出身の小久保監督への注目度は非常に高いです。
小久保 目標は世界一、それ以外はありません。侍ジャパンの監督として私が選手たちに伝えているのは、野球人にとってグラウンドは道場であるということ。自分たちのパフォーマンスを発揮する場所ではあるんですが、同時に野球を通し、グラウンドで成長させてもらえたので、そういう感謝の心と謙虚な気持ちはしっかり持ち合わそうとの話は必ずします。日本のトップの選手たちもそういう思いを持ってグラウンドに入っている。野球に打ち込んでいる子どもたち、これから始める子どもたちにも伝わる部分だと思います。
──世界の頂点に立てるよう、和歌山からお祈りしています。本日はありがとうございました。
(12月15日、和歌山市内で)
(ニュース和歌山2017年1月21日更新)