紀三井寺の吉祥水保存や三葛塩の記録を残す活動などに尽力した郷土史家の小薮繁喜さんが5月4日に93歳でお亡くなりになりました。名草山の名草戸畔(なぐさとべ)伝承にも詳しく、2010年に出版され、伝承を広めたなかひらまいさんの著書『名草戸畔〜古代紀国の女王伝説』はなかひらさんと小薮さんの出会いから生まれました。なかひらさんが小薮さんをしのび追悼します。(本紙編集部)

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名草戸畔伝承 未来へつなぐ 作家 なかひらまい

 5月4日の夜。小薮繁喜さん永眠の知らせが届いた。享年93。ご親戚の方から届いたメールを見て、気が動転した。5日は用事があり浅草に出かけた。六地蔵に繁喜さんのご冥福をお祈りした。浅草は、和歌山市の日前宮(ひのくまのみや)と同じ名の檜前という漁師がみつけた浅草寺の観音様の伝説もある。

 「名草戸畔は神武に殺されていないんです」

 紀三井寺で偶然、繁喜さんと出会い、『日本書紀』と異なる伝承を、降伏の印に剣を差し出す身振りを加えてうかがったのが06年5月10日。11年前の今ごろで、新緑の美しい吉祥水と名草山の景色を今も覚えている。

 あの出会いがなければ遠い昔のご先祖・名草戸畔とつながる感覚をもつ繁喜さんから「生きた伝承」をうかがうことはなかった。繁喜さんがいなければ、小野田寛郎さんが、生家で語り継がれた名草戸畔に関する口伝を公開することもなかった。

 戦争を生き抜き、故郷にかえってきた繁喜さんは、戦前の空気が残る中、おかしな人だと思われるリスクも抱え、記紀とは違う名草戸畔降伏説を「里の伝承なのだ」と大切にしてきた。

 この物語は、歴史的事象と私たち先祖の物語を分断した歴史観や、何か大切なものから切り離されたような漠然とした不安の中で加速するスピリチュアル・ムーヴメントに一石を投じたと思う。繁喜さんは、名草戸畔や名草山、吉祥水を通し、自然の精霊と共に生きる「神話的思考」が今も幸せに息づいていると教えてくれた。そして「神話的思考」とは一体何か、この心のあり方を未来につなげるにはどうすればよいか、という大きな問いを残してくれた。これは、名草のみではなく世界中の人々に共通する普遍的なテーマでもある。

 名草戸畔伝承を知る人には、すべての始まりは小薮繁喜さんであることを、どうか忘れないで欲しい。心より繁喜さんのご冥福をお祈りします。

(ニュース和歌山/2017年5月27日更新)

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