かつて、干ばつになると村人は唄や踊りを滝の主に捧げた。雨乞いは、農耕を糧とする我々が、雨が降らないと生きていけないという自然の摂理に対する請願である。滝の主を怒らせると豪雨になるという話が多い。

 百間山渓谷にあるこの滝に、深い思い入れがある。2011年夏、ここで水着姿の若者たちが泳いでいた。私は滝に対する考え方が、今は随分違うのだなと痛感した。その直後、紀伊半島大水害が起こったのである。

 迷信と言われるかもしれない。ただ、雨乞いの滝で泳いではいけないという古(いにしえ)の不文律が迷信と言い切れるだろうか。先日の台風21号の後、6年ぶりに訪ねた。ごうごうと落ちる滝は普段と違い、むしろ怒っているように感じた。

(ニュース和歌山/2017年11月4日更新)

大上敬史さん作製「和歌山県の滝」で、県内の滝が紹介されています。