「慶長(1596~1615年)の城ブーム」と言われた時期に築かれた和歌山城天守は、戦国の世を意識し、防御に主眼を置く一方で、権威を示す建物として、屋根に小さな三角形の千鳥破風(はふ)や中央部が弧を描いた曲線状の唐(から)破風などをバランスよく屋根に設けて、美しい天守に仕上げています。
破風は、天守や櫓を飾る代表的なもので、他に屋根にあたる入母屋破風と切妻破風があります。帽子に例えれば、ひさしのあるのが入母屋破風で、ひさしのないのが切妻破風ということになります。
和歌山城天守の大屋根は入母屋破風ですが、それより小さな千鳥破風は、屋根に置くだけの飾りで、大・小天守の1層目に設けられています。同じ三角形でも大天守1層目には、2つの小さな千鳥破風が屋根の両隅に据えられています。この形を比翼(ひよく)入母屋と呼びますが、これらの破風内部を妻(つま)壁と言います。現在は、徳川家を象徴する青海波紋(せいがいはもん)が銅板に打ち出されています。先の浅野期天守の場合は、縦横同じ寸法で組んだ木連格子(きつれごうし=狐格子、妻格子)だったと考えられています。さらに、最も装飾性が高いと言われる唐破風が、大天守2層目の東西に設けられて、より優美さを強調しています。
もう一つ、装飾的存在に1層目の角に張り出した「袋狭間(ふくろざま)」と呼ばれる「石落(いしおとし)」があります。その袋のような形状部分の床を開き、石を落とす施設ですが、実際は鉄砲狭間だったのです。中世においては、多くの石を転がして侵入を防ぐ「石落」があったようですが、後に武器が矢や鉄砲に変わっても、呼び名はそのまま引き継がれてきました。その袋狭間が3層3階の和歌山城天守を、どっしりとした安定感のある建物に見せているように思えます。
全国の再建天守の中には、史実と違っても破風を設ける例が少なくありません。それほど破風は、天守や櫓のシンボル的存在として好まれる装飾のひとつなのです。
写真=様々な破風で飾られた大・小天守
(ニュース和歌山/2018年8月18日更新)