天守群の内部見学を終えて、「出口」から外へ出るあたりに「台所」がありました。少し前までは立札で示されていました。かまどや調理場などがそろった日常生活用の台所と違って、籠城時など臨時に使用する簡易的なものでした。連立天守は籠城に適している(2018年7月21日更新「三大『連立式天守』のひとつ」参照)と言われ、その防御性に目が奪われがちですが、立て籠る兵士の食糧や水の確保は欠かせない重要なことです。その場所が天守から続く多門櫓内の台所なのです。

 外観から見る台所は、天守曲輪を周回する多門櫓の幅より北に少し張り出しています。そのため、台所の東角の床が石垣から外にはみ出した面白い現象が起きています。この広くした台所の東寄りに、大きい板敷きの方形台が置かれていました。その様子は、1960(昭和35)年刊『日本城郭全集5巻・近畿編』の古写真が伝えています。その西寄りには薄暗い穴蔵があります。天守曲輪の中で最も暗く不気味さを感じさせる空間です。穴蔵は、下る石段が急なうえに段差が大きく、不規則で、危険が伴うので普段は立入禁止となっています。

 石段を下りた内部は、結晶片岩の小さな石で積まれた穴蔵で、まるで古墳の石室を思わせます。ところが一部の床や側壁は、岩盤を削って仕上げており、その掘削技術に驚かされます。また天守曲輪が岩山の上に石を積んでいることを知る場所でもあります。

 この穴蔵の右側(北側)に小さな門が行く手を阻みます。当門は、石組の中に開かれた「埋門(うずみもん)」という形式の城門のひとつです。他の埋門形式と比べて、最も発見されにくく、最も防御性の高い構造と言われています。和歌山城多門の埋門は、北の中腹にある井戸につながる通路で、多門台所に水を運ぶための出入口なのですが、門扉から入るあかりとろうそくのあかりが頼りの薄暗い穴蔵の雰囲気から、脱出口などと誤解されてきたのでしょう。

 ※埋門は10月20日(土)、21日(日)、午前9時〜午後5時に特別公開されます。

写真=上=石組の中の埋門、同下=その内部

(ニュース和歌山/2018年10月20日更新)