筆者が所属するよさこいチームは、練習日の案内やイベントの出欠確認などを一斉メールで共有しています。個別にメールを送ったり、電話をしたりする手間を省くためで、様々な団体で活動している人も、同様にしているのではないでしょうか。

 先日、踊りの依頼を受けたため、一斉メールで参加者を募りました。ところが、出欠の返事をくれたのは11人、残りの63人は無回答でした。なぜ、こうしたことが起きたのでしょうか。

 別のところで共に活動する仲間から、過去に同じような悩みを聞いたことがあります。一斉メールを送っても、やはり返信が来ず、集まる人数も少ない。一方で、普段直接会ったり話したりする人ほど返信がある。見えてきたのは、「簡略化のために失われた、アナログ的なつながりの大切さ」でした。

 算数に置き換えてみると、例えば、分数の割り算「6÷2分の1」。大人は2分の1の分母と分子を入れ替えてかけ算にしますが、その理屈が子どもには理解しにくい。そもそも「2分の1で割る」というイメージが難しく、大人も説明に困ります。この場合、コップの水を想像し、「6杯の水を2分の1ずつに分けたら、何人に配れるか」と言い換えると分かりやすくなります。公式は先人が導き出した便利な計算法ですが、頼りすぎると、基礎的な理解を見失います。

 「合理的に」「効率良く」と考えがちな毎日で、日々の行動にもこうした簡略化した動作が無意識のうちに出てしまっています。そうすれば確かに時間の短縮にはなりますが、人とのコミュニケーションが希薄になったり、深く理解する機会が奪われたりと、目に見えず、数値化できない大切なものを、自覚がないまま失っているようです。

 先の一斉メールでは返信が無かったものの、個別に連絡すれば答えてくれて、世間話をする中で都合をつけてくれる人もいました。限られた時間の中で全ての人と同様のコミュニケーションは難しいかもしれませんが、丁寧に接するよう心がけるだけでも、互いの理解が深まり、人間関係が良くなります。

 AIをはじめ、情報通信技術のデジタル化が進む現代。便利さだけに注目せず、無意識のうちに「無駄」と切り落としてしまっているものがないか、常に自覚をもって振る舞うことこそが、本当の意味で「技術を使いこなせている」といえるのではないでしょうか。 (林)

(ニュース和歌山/2019年2月23日更新)