大川小のひまわりの種が昨年手に入り、育てたところ、種ができたのでお分けします 田中──。こう書かれた手紙と共に、種がぎっしり詰められた小瓶が2月26日、水栖大池公園(岩出市水栖)の花壇近くに置かれていた。見つけたのは同公園を整備するボランティアの原田政敏さん(74)。「ボランティア仲間に田中さんという名字の人はいません。ただ、公園を通じた地域のつながりづくりに力になってくれるのはありがたく、お礼を言いたい」と喜ぶ。
岩出市の水栖大池公園
「大川小のひまわり」は、宮城県石巻市の大川小学校で育てられたひまわり。2011年3月11日、津波は海岸から約4㌔離れた大川小まで到達し、全校児童の7割、74人の命を奪った。3ヵ月後、保護者らは親子で季節の花を育てた場所にひまわりの苗を植えて思いをはせた。その種を翌年、現地を訪れた和歌山の団体が持ち帰り、和歌山市や海南市の小学校、公民館などに広がっている。
原田さんは同公園でゴミを拾う仲間と共に、端材で遊具を手作りし、放課後は公園に隣接する上岩出小学校の児童に昔遊びや釘、金づちなどの使い方を教える。掲示板で花壇に植える種の寄付を募っており、アジサイなどを譲り受けてきたのと同様の形で、ひまわりの種が置かれていた。
翌27日には子どもたちと花壇に植え、毎日欠かさず水をやっている。上岩出小2年の平松結菜さんは「東日本大震災が起きた時のことは記憶にないけれど、大きく育ってたくさん花を咲かせてほしい」と笑顔。原田さんは「震災の翌年に大川小を訪れ、あまりの惨状に涙しました。まさかこういった形で再び大川小とのつながりができるとは。大切に育て、犠牲になった同世代のことを子どもたちに伝えていきます」と話している。
写真=水やりする子どもを見守る原田さん(右)
(ニュース和歌山/2019年3月9日更新)