脳出血を乗り越えた後に侵された急性骨髄性白血病。再び大病に立ち向かい、抗がん剤投与を受ける日々が続いていた。

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 抗がん剤治療もいよいよ5回目に入った後、娘が体の不調を訴えるようになりました。「おなかが痛い」「頭が痛い」…。精密検査を受けましたが、異常は見つかりません。

 その後、聞くと、夫が娘に「今まで頑張ってきたね。あと少しだから、もう我慢しなくていいよ」と話したのが原因のようでした。それまで娘なりに私を心配させてはいけないと気を張っていたんでしょう。それが夫の言葉で気持ちが緩んだんだと思います…。

 娘のことが頭から離れませんでしたが、抗がん剤治療は進みました。ようやく終わった2017年1月、待ち望んだ日が来ました。〝まやかしの退院〟ではなく、〝本当の退院〟の日を迎えることができました。

 その後、しばらくは家族との時間を大切にしました。3月には1週間、東京旅行へ。築地市場でのこと。フォークリフトに乗った市場の人が、車いすを使う身体障害者の私にも「どいた、どいたー」と言ってきました。その一言が、「健常者、身体障害者、みんな一緒なんだ」とうれしかったのを覚えています。

 静養期間を経て、その年の11月、ステージに戻ることができました。東京・赤坂、横浜、そして和歌山で復帰ライブを開きました。地元・和歌山にもヴァイオリニストの牧山純子さんら著名な音楽家が他府県から駆けつけてくれました。

 花を添えてくれたのが、私の母校であり、娘が通う今福小学校の子どもたち約30人。リコーダーと鍵盤ハーモニカで出演してくれました。私との練習は前日だけでしたが、一緒に披露した『センチメンタルジャーニー』と『サッちゃん』は宝物となりました。

写真=復帰ライブ終了直後、最高の仲間たちと

(ニュース和歌山/2019年3月13日更新)