「このままだと危機的な状況になる」といった不安感をあおる言い回しは好きではありません。多くは注意をひかせ、何か物を買わせようとするのが大半だからです。しかし、今、思います。このままだと、日本は他国で戦争する国になる、と。
3月6日に、政府は与党協議を開きました。その中で現行の武力事態法を改正し、日本が直接武力攻撃を受けていなくても集団的自衛権を行使できる「新事態」を盛り込む方針を、自民党、公明党に伝えました。
新たな武力行使の3要件のうち、根幹は、同盟国への攻撃により、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合です。公明党からは「明白な危険とは何か踏まえる必要がある」との声がありました。確かに具体例が何かが示されるか、否かが非常に大きいところです。同盟国への攻撃が即日本人の存立を左右する事態とは何でしょう。
新聞には、中東のホルムズ海峡の名前がみえます。アメリカとイランの緊張が一時的に弱まっているとはいえ、日本に来るタンカーの8割が通る、石油輸入の動脈です。仮にここで有事があれば、日本にとって「自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」となるのは疑いようはありません。また、アメリカの9・11のような多発テロがあり、犯行グループが西欧諸国と並び日本を名指しで敵視したらどうでしょう。これも「明白な危険」と言えそうです。きっと多くの犠牲者の前に反論はできなくなります。
理屈で追っても新事態において日本が海外で武力行使する可能性は飛躍的に高くなります。それは「しない」から「できる」への転換です。
今、進んでいることは、将来、歴史の分岐点として語られるに違いありません。私が疑問なのは、集団的自衛権の閣議決定同様、これも国民が関与できない形で進んでいる点です。国会で進めるのに何の問題がある?と言われるでしょう。しかし、国民の腹が決まらないまま進めていい話だと到底思えない。国の形に関わる問題です。
子育て世代の方に強く問題意識を持ってほしいと願います。戦争を放棄したまま、国際社会をわたるのは至難の業です。自分たちが育ってきた平和な環境をもし保ちたいと思うなら、これまで以上の関心、議論、知恵が欠かせないのです。 (髙垣)
(ニュース和歌山3月14日号掲載)