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紀北を東西に流れる紀の川は江戸時代、城下町を防衛する観点から橋が架けられず、渡し船で両岸を行き来していた。明治以降、人口増加と共に橋の需要が高まり、南海橋は造られた。木造だったころは何度も洪水で流され、通行料として徴収された1銭にちなみ市民から「一銭橋」と呼ばれた。西隣に紀の国大橋が完成した2003年、その役目を終えた。 繰り返す流失 『海草郡楠見村郷土史』(1911年)によると、南海橋があった場所に初めて橋が架かったのは1874年ごろ。楠見村の土橋市次郎と楠見太郎左衛門が官許(国の許可)を得て嘉家作丁と粟を結び、通行料として2厘徴収し、橋を経営した。
名。鉄橋完成後、南海橋は管理されなくなり流されたが、楠見村村長や和歌山市民が協力して再建し、通行料を徴収することで橋の維持管理を図った。楠見村が和歌山市に編入される1942年まで、1銭を払わなければ渡れなかった。 心に架かる生活の橋 2003年、南海橋の西隣に紀の国大橋が開通した。一方、老朽化が進んだ南海橋はその役割を終え、撤去されることになった。本紙は読者から思い出話を募り、「長い歴史が閉じられ運命とも思いますが、感慨深いものがある」「南海橋は堂々とした母のように見守ってくれた」と別れを惜しむ市民の声を伝えた。 ◇ ◇ 「ニュース和歌山が伝えた半世紀」は毎週土曜号掲載です。
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半世紀No.40 〜 2003年(H15)南海橋 100年の歴史に幕 きょう深夜 全面通行止めに
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