和歌山の「中華そば」が、札幌ラーメンや喜多方ラーメンのように地名がのる「和歌山ラーメン」として、ちょっとしたブームになっている。正月のテレビ番組で和歌山のラーメン店が日本一うまい店に選ばれるなど、「和歌山ラーメン」が全国的に認知度を高めている。(1998年5月21日号より)

今も井出商店前には行列ができる

 昭和初期、和歌山市東高松の車庫前に並んだ屋台がルーツと言われる和歌山ラーメン。地元では「中華」と呼ばれ、親しまれてきた庶民の味が1998年、テレビ番組を通じ全国区になった。今や名物となり、目当ての観光客も少なくない。

井出商店が優勝

 90年代中ごろ、雑誌やテレビで、独自の進化を遂げた全国のご当地ラーメンを発掘するブームが起きた。札幌、博多に次いで、旭川や尾道などのラーメンが知られるようになり、和歌山ラーメンも注目され始めた。
 知名度を押し上げたのが98年1月。テレビ番組「日本一うまいラーメン決定戦」で井出商店が優勝に輝いた。放送翌日から店の前に行列ができ、最大3時間待ちの状態に。深夜零時でも満席になる日もあり、店主の井出紀生さん(71)は一日中厨房に立って、寝る間も惜しんでスープ作りに打ち込んだ。「せっかく全国から食べに来てくれた人たちに喜んでもらいたいとの一心でした。うれしい反面、地元の常連さんが入り辛くなり申し訳なかったです」
 和歌山ラーメン独特の個性にも注目が集まった。新横浜ラーメン博物館職員で市内の店を食べ歩いた武内伸さん(故人)は、和歌山ラーメンの特徴を調査。味は、屋台で作られていた醤油ベースの「車庫前系」と、井出商店を発祥とするとんこつ醤油ベースの「井出系」の2系統あることや、はや寿司やゆで卵がテーブルに置かれ、自己申告で会計するシステムも他県には見られない文化だと分析した。
 和歌山大学システム工学部の床井浩平准教授(53)が94年に開設したサイト「和歌山のラーメン」もアクセスが急増した。「地元の人は食卓の延長で、和歌山の中華そばが特徴的なものだと気づかなかった。屋台発祥で複雑な調理ができない中、リピーターを獲得するために積み重ねた工夫と手間が評価された」と床井准教授。

個性豊かな名物

 1998年10月〜99年5月、井出商店は新横浜ラーメン博物館に出店した。7ヵ月間の期間限定だったが、売り上げは過去最高を記録。わずか23席の店内で食べられたラーメンは21万2610杯、1日平均で893杯に上り、行列は57㍍に達した。同館の中野正博さん(40)は「繁盛店として認知されている歴代店舗の中でも類を見ず、この記録は前代未聞」と話す。
 井出商店を発端に、市内にある他の中華そば屋にもスポットが当たるようになった。大盛りのネギが特徴のまるイ(和歌山市中之島)の生島伸一店長(39)は「元々は地元の常連が中心でしたが、98年以降は県外からのお客さんが増えました。有名人も来るようになり、その翌日はファンの人がたくさん来ます」。
 個性豊かな店を発信しようと、和歌山市は一昨年、複数の店を巡るラーメンタクシーを開設し、スタートさせた。市内約50店で食した相互タクシー運転手の森井久晶さん(57)は「有名店以外にも味にこだわる個性的な店が多い。地元でも知られていない名店はまだある。奥は深いです」と話している。

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ニュース和歌山2014年8月30日号掲載