和泉山脈から金剛山脈へ連なる葛城山。この山系に点在する「葛城二十八宿」が注目され始めている。奈良時代に修験道(※)の開祖、役小角(役行者)が行場を開き、後に経を埋めたと伝わる28ヵ所の経塚で、和歌山県は日本遺産への登録を目指す。また和歌山大学は今年、関連する展示会を2回企画。10月には文化庁の「歴史の道百選」に選定され、見直しの機運が高まりつつある。
見直される「葛城二十八宿」〜歴史の道認定 日本遺産再申請
葛城二十八宿は、役行者が全28品に及ぶ「妙法蓮華経」を一つずつ埋め納めたと伝わる経塚で、修験者の修行の場として現在まで受け継がれている。西端は加太友ヶ島の「序品窟」で、紀の川市中津川の行者堂、泉佐野市の七宝瀧寺などをへて奈良県王寺町の「亀の尾宿」へ至る。和歌山には10ヵ所ある。
経塚は石碑を置く所が多いが、場所によっては山深く、自然石だけの所も。昨年度、県は関係18市町と連携し、「海から始まる修行の道『葛城修験』」として日本遺産に申請したが、認定は得られなかった。今年度も申請を目指している。
和歌山県観光振興課は「登録は残り17と厳しいが、関連する寺、堂は多く、里人とふれあいを保つ行事が残る。アピールポイントをさらに探りたい」。
加太では4年前に加太浦大護摩供顕彰会が20年以上絶えていた春の行事「採燈大護摩供」を海水浴場で復活させた。加太観光協会の稲野雅則会長は「かつて加太では学校の文化祭で役行者の劇をするほど地域文化として修験に親しんだ。地域愛をつくる文化の一つとして継承し、かかわる地域を面として売り出すことにつながれば」。理事の幸前次朗さんも「昨年一年で他地域とつながりができた。文化継承が第一だが、登録されると弾みがつく」と期待する。
研究者の間でも注目は高まる。和大紀州経済史文化史研究所は1月、和大図書館で「加太・友ヶ島の信仰と歴史」と題し、加太で行者を迎える家に残る史料を展示。現在は「七宝瀧寺と志一上人」を12月13日㊎まで開催中で、七宝瀧寺の中興の祖、志一上人を追い、歴史をたどる。
担当の大橋直義准教授は「葛城修験の研究は近年、脚光を浴び始めた。根来寺、粉河寺と七宝瀧寺はじめ葛城修験の道をつなぎ考えると、今まで分からなかった歴史が見えてくる」。そのうえで「現在も修行の場ながら、女人禁制ではなく、健脚の人なら行ける利点がある。行政、大学、宗教界がまず適切な守り方を考える必要がある」と話す。
こんな中、10月29日に「葛城修験の道」が「歴史の道百選」に加えられた。県内のエリアが対象で、熊野、高野山参詣道より23年遅れての選定となった。
企画展「葛城修験の聖地」を8年前に開いた和歌山県立博物館の大河内智之学芸員は「二十八宿は修験最古の道。熊野古道もここから派生しました。明治政府による廃止まで修験者は人々の生活に深くふれ、その文化は日本文化の基層にかかわる。重要性が忘れられているが、日本遺産登録が実現し、この歴史の道を未来につなげる機運が高まるといい」と望んでいる。
※修験道=役小角を開祖とする日本の山岳信仰。山中の修行を主とし、修行者は山伏と呼ばれた。明治に廃止されたが、戦後に復活。幾つかの教団が活動している。
写真=二十八宿の西端地がある加太で復活した「護摩供」
(ニュース和歌山/2019年11月9日更新)