全盲の精神科医 和歌山で初

 障害がありながら不屈の精神で活躍する人に贈る「塙保己一(はなわほきいち)賞」に、和歌浦病院(和歌山市和歌浦東)副院長で全盲の生駒芳久さん(70)が選ばれた。ヘレンケラーが尊敬した盲目の学者にちなみ埼玉県が創設した賞で、和歌山からは初。きょう14日㊏に埼玉県本庄市で受賞式が開かれる。生駒さんは「全盲でも医師ができる時代の変化を生きて来た。光栄です」と話している。

 大学1年の時に進行性の目の病気が分かり、視力が弱くなる不安と常に闘ってきた。卒業後、電機関連の技術者として働いたが、視力を失った時のため28歳で和歌山盲学校へ入り、鍼灸(しんきゅう)を身につけようと考えた。

 生理学や衛生学、解剖学を学ぶ中、医学への関心が急に高まった。30歳で県立医科大学を受験。見事合格を果たした。「『やるのならやったらいい』と盲学校の先生が応援してくれたのが大きかった」

 入学後も顕微鏡の使用や解剖など苦労したが、国家試験をパスし、1988年に県立こころの医療センターへ精神科医として着任。「大学が私の状況を伝え、病院は準備してくれていた。看護師は肩を貸してくれ、カルテを書くのもサポートがありました」

 診療では患者の声の調子や言葉の内容にじっくりと耳を傾け、血圧測定や聴診器で相手に触れ、身体の緊張などを感じ取ろうと努力した。

 しかし、頭を離れなかったのは当時の医師法の欠格事由。視力を失うと、医師が続けられないと定められていた。「そのころは病院が近くなると、白杖を使うのをやめていました」

 2001年に医師法は改正され、03年には全盲の人が医師の国家試験に合格した。自らは今から10年前に全盲となったが、それに先立ち医療秘書が付くなど働く環境は改善された。

 現在は和歌浦病院副院長として診療を担うかたわら、視覚障害を持つ医療従事者の会「ゆいまーる」で障害のある医療従事者の地位向上を図り、また講演活動を通じ、視覚障害者の心の支えになろうと努める。

 同賞は江戸時代後期の学者で、盲目ながら文献集『群書類従』を編さんした塙保己一にちなんだ賞で、「受賞は晴天のへきれき」。実は自ら属する会の代表を同賞に推薦していた。「まさか自分がという気持ち。障害があることでの受賞は初めて」。多くの視覚障害者の励みになるのではとの問いに「人はね、失敗談の方が励みになるんですがね」と笑う。

 和歌浦病院の篠田元子理事長は「気さくでいつもほほえみを絶やさない先生で、見習うべきところが多いです。受賞は病院としても大変名誉で、いつまでも元気で診療を続けてほしい」と喜んでいる。

写真=70歳の今も現役で診療に当たる生駒医師

(ニュース和歌山/2019年12月14日更新)