読者の皆さんから寄せられた和歌山に関する素朴な疑問を編集部が調査する人気コーナー「和歌山謎解き代行社」。今回は正月特別編として、多くの疑問が届いた和歌山弁と東西南北の不思議について調べました。
和歌山弁
〝あが〟の語源は?
まずは、海南市の井川スエ子さんから届いた「〝あが〟の語源は?」。〝あが〟とは自分を表す言葉で、〝あがら〟は〝私たち〟という意味になります。
一人称に助詞がついた
和歌山大学で日本の方言を研究する澤村美幸准教授によると「古代、わたしを指す一人称は〝あ〟でした。それに主語の助詞である〝が〟が付き、〝あが〟になったと考えられます。〝あ〟は『万葉集』にも出てくる古い言葉です」。和歌山は山や海に囲まれ、交通の便が悪かったこともあり、関西圏でも昔の言葉が残っている貴重な場所。紀南地方では今も〝居る〟を、古語の「あり」を使い〝ある〟と言います。
和歌山弁落語でおなじみの桂枝曾丸さんは「〝あが〟とは自分を指しますが、相手のことも〝あが〟という場合があり、大阪弁の〝自分〟と同じで、親しい間柄で使われます。私の周囲でも聞きますし、和歌山弁落語にも出てきますよ」。例えば、自分のものだと伝えたいとき、〝あがのん〟と言った方が楽。便利な言葉なので、残っているのかもしれません。枝曾丸さんは「『方言は宝』という言葉がありますが、和歌山は生きた方言が今もあり、地元の誇りや財産。令和も残していきたいわなぁ」と願っています。
なぜザ行が言えないの?
和歌山市の小原直子さんほか、10人以上が抱いた疑問「ザ行が言えないのはなぜ」。和歌山弁を代表する特徴の1つですよね。まずは6年前から出演するテレビ番組「月曜から夜ふかし」で、話題になった「ザ行が話せないお母さん」こと古谷昭代さんに聞きました。
そもそも区別する必要がなかった
「テレビの取材を受けるまで、ザ行の存在を知らなかったんです。生まれてこの方、和歌山から出たことがなく、だれにも指摘されませんでした。書けますが、言えないんですよ」。ザ行を意識したことがなかったんですね。
和大の澤村准教授は「ザ行とダ行の混同は和歌山だけでなく、兵庫や島根の一部でも見られます。ダ行の発音と舌の動きが似ています。ザ行が〝言えない〟とよく聞きますが、能力の問題ではなく、区別しなくても生活に支障がなかったと考えられます」。
5年前、和歌山出身の和大生を対象にザ行の発音を調べた学生の卒業論文によると、ほとんど混同はありませんでしたが、3世代同居の学生にザ行が言えない傾向があったそうです。
バレエシューズと呼ぶのは和歌山だけ?
続いては、和歌山市の江川泉さんから届いた「上履きをバレエシューズと呼ぶのは和歌山だけ?」です。
愛知や山形の一部でも呼んでいる
まずは、和歌山市新生町の靴のまつやイズミヤ店、出口新悟店長に聞きました。「私が入社した36年前から店ではバレエシューズと呼んでいますし、今でもお客さんはそう呼んでいますよ」
また、和歌山市で小学校教諭をしていた75歳男性によれば、遅くとも1966年ごろにはバレエシューズとの呼び名が広まっていたようです。
2014年に上履きの呼び名を全国調査した漫画家の中村ゆきひろさんによると、ほとんどの県は「上履き」や「上靴」でしたが、愛知の一部もバレエシューズで、また和大の澤村准教授の出身地、山形でもそう呼ばれています。
このように限られた地区や校区で使われている言葉は「学校方言」と言われ、ジャージは宮城で〝ジャス〟、黒板消しは鹿児島で〝ラーフル〟など地域限定の個性的な呼称があります。和歌山でも、探せばまだまだ面白い学校方言が見つかりそうですね。
写真=今も昔もバレエシューズ
東西南北の不思議
警察、なぜ南署はないの?
和歌山市の岩本貴美子さんから届いた「和歌山市の警察署には北署と東署と西署があるのに、なぜ南署がないの?」。東・西・北ときて、なぜ南だけないのか、県警広報室に聞きました。
将来、和歌山市の人口が増えればできるかも
そもそも警察署は人口、交通、地理などを考慮し、法律にそって設置されています。今の警察法が施行された1954年に東署と、和歌山警察署が設置されました。その3年後、和歌山警察署が和歌山西警察署に名称を変更。さらに68年には、新たに和歌山北警察署が誕生しました。「これから先、人口が増え、法律の観点から見て警察署が必要と判断された場合、新しく南署が誕生する可能性も、ゼロとは言えないですね」
もしもこの先、南署が誕生したら、和歌山にはたくさんの人が居て活気づいているはずです。そんな時がくるよう、私たちは和歌山の魅力を発信し、警察のみなさんには安全な街のためにがんばっていただきたいですね。
写真=現在の和歌山西警察署
紀の川市の中井阪 東にあるのに?
次は紀の川市の匿名希望の方から、「紀の川市には東から西に中井阪、下井阪、西井阪とあり、あわせて井阪と呼んでいます。中井阪が東にあるのはなぜ?」。西井阪があるのに、東にあるのは中井阪、確かに不自然ですね。
後から西井阪ができて違和感が…
紀の川市生涯学習課によると、「江戸時代に書かれた『紀伊続風土記』には、今とはサカの字が違いますが、中井坂村、下井坂村、そして上井坂村があります」と、もう一つ「上井坂」の存在が浮上しました。
しかし時が経ち、上井坂村は姿を消します。諸説ありますが、中井坂村と合併した、もしくは、その名前自体がなくなったのか、はっきりとは分かりません。
その後、下井坂村と中井坂村は、打田町下井阪、中井阪と名前を変え、さらに下井阪の西部地域に新しい名前がつきます。それが西井阪。つまり、上・中・下で名付けられていた地名が、一つ減り、そこに新たに生まれた地区がたまたま西側だったので、方角を示す言葉がついたんです。
上・中・下だけだったのが、新しく方角が入ったことで、違和感のある並びになったんですね。
〝和歌浦北〟がない理由は?
続いては、和歌山市の吉村史織さんから届いた「和歌浦東、和歌浦西、和歌浦南、和歌浦中とあるのに、なぜ和歌浦北はないの?」です。こちらは「中」まであるのに、北だけない理由は…?
和歌浦を細分化する中でなぜか…
和歌山市のまちなみ景観課に聞いたところ、昔、あの地域は「和歌浦」という一つの地名でした。ところが、「1962年に公布された『住居表示に関する法律』により、初めてその地を訪ねた人でも住所を分かりやすくするため、和歌山でも住所が細分化されていきました」。
74年1月1日、和歌浦もその対象となり、まず和歌浦中が決定。この後、東、西、南と決まっていきました。ただ、なぜ北をつくらなかったかは分からないそうです。
この疑問以外にも、和歌山市の湯川奈保子さんから、「松江には北、西、東、中とあるのに、どうして南だけないの?」も届いていますが、こちらも78年、同じように住所が細分化され、元々は松江一つだったのが、東、西、北、松江中と名付けられました。
残念ながら和歌浦北同様、松江南がない理由は分かりませんでした。住所を分かりやすくしたことで、生まれたこの不思議。住所に東西南北が入っている人は、調べてみると、昔は一つの大きな街だったのかもしれませんね。
(ニュース和歌山/2020年1月4日更新)