かつて和歌山のにぎわいの中心で、多くの人に愛された丸正百貨店。2001年に倒産してから約20年の時を経て、屋上遊園地で走っていたミニ電車「辨慶号」が復活に向け動き始めた。和歌山市の田中義規さん(65)が修理を進め、移動式レールでの走行を夢見る。「幼いころ、胸を踊らせ、妹と一緒に乗った電車は忘れられない。もう一度走らせ、当時の記憶を多くの人と共有し、次の世代に語り継ぎたい」と目を輝かせている。
和歌山市 田中義規さん 倒産見届けた車両修理中
コーヒーカップ、鯉釣り、ペットショップ、ゆがんで映る鏡、不気味な人形が動くみくじの機械──。丸正百貨店のにぎやかな屋上遊園地で、ひときわ人気を集めたのが、頭上を周るミニ電車だった。
車両は何度か世代交代し、「辨慶号」は丸正倒産時まで走っていた最後のミニ電車で、レールに電気を流して動かす給電式。明治時代にアメリカから輸入した蒸気機関車「辨慶号」がモデルで、車体側面には円の中に「正」の文字が記された丸正のロゴが目を引く。
丸正倒産後、同市の幼稚園から譲渡の希望を募り、応募のあった8園から和歌山市築港の和歌山キンダースクールが引き当てた。昨年7月まで園庭で遊具として活躍し、園児に親しまれてきたが、約20年経ち、車体が劣化してきたため、園長の親せきである田中さんが引き取った。
昨年9月、客車修理に取りかかった田中さんは、船具会社を営んでおり、工場に機械や工具を備えている。車体は腐食が激しく、鋼板で作り直したが、車輪や車軸を支えるパーツはさびを落として利用し、できるだけ元の部品を使って再現を目指す。現在は祖父から譲り受けたクイーンエリザベス号のチーク材を用い、客車内の床板や手すり、座席部分を修理中だ。
ミニ電車が現存していることを知った、ぶらくり丁生まれの平松博さん(63)は「地下にあったジューススタンド、喫茶室の名物、フルーツサンドなど思い出は尽きないが、屋上の電車は誕生日にしか乗れない特別なものだった。電車から一望した山や海、街の風景を覚えている。電車が今でも保存され、それを修理しようと奮闘している方に敬意を感じます」と力を込める。
和歌山市の戦前戦後の歴史に詳しい市立博物館の太田宏一学芸員(63)は「どの年代の人も、今自分が生きている時代のものを大事にしようとする意識が薄い。そのような環境において、辨慶号が残っていることは価値があり、社会風俗を飾る1ページだ」と話す。
今後、残り車両や機関車など、まだまだ修理が続く。田中さんは「仕事の合間に作業をしているので、完成はいつになるか未定。孫を乗せる日を夢見つつ、自分のペースで楽しみながら修理したい」と笑顔を見せた。
なお、ミニ電車を走らせるために、みかん畑のトロッコなどで使われている6㌔レール(100㍍ほど)を提供してくれる人を探している。田中さん(073・422・2774)。
写真上=車体側面にはおなじみの丸正ロゴマークが記されている
同下=昭和30年代に撮影されたミニ電車。車内から街が一望できた
(ニュース和歌山/2020年2月22日更新)