松田茂樹さんの『明治の和歌山藩士族』によると、南龍神社は旧紀州藩士の発議で、紀伊徳川家初代藩主頼宣を祀るため東照宮ふもとにあった雲蓋院(うんがいいん)跡に建立されました。

 社殿は明治八(一八七五)年十一月末に完成し、翌月十五日夜鎮座、同十六日に祭典を行い、和歌の浦は賑わいました。写真で最奥の社殿は見えません。鳥居・参道、神門と続き、正面の建物は拝殿です。神社は大正六(一九一七)年に東照宮に合祀され、拝殿は東照宮の神庫として残っています。

 紀国堂店主の溝端佳則さんの収集品を紹介します。

(ニュース和歌山/2020年3月7日更新)