世は『鬼滅の刃』人気まっただ中です。私たちが暮らす和歌山にも鬼にまつわる数多くの伝説が…。そんな中から、漫画家、マエオカテツヤさんが選んだ4つを紹介します。
其の弐百弐拾四 鬼とおこない
怖さ:0
山の妖怪
出没地域:那智勝浦町
昔、那智の山に問答好きの鬼が棲んでいた。山で修行する山伏と問答するだけでは飽き足らず、ある年の暮れに里へ下りてきた。道で会った村人に「問答しないか」と声をかけると、「暮れの忙しい時に来てもだめじゃ。年が明けて7日くらいまではみな暇じゃ。そのころにおいで」と言われた。鬼は除夜の鐘が鳴り終わると、早々に里へ出向いた。ところが、どの家もやたらと騒がしい。樫の棒で家中をガンガンたたいている。鬼は「これだけ忙しかったら、誰も相手はしてくれないだろう」と山へと帰っていった。正月、那智の里では「おこない」といって、7日7晩、樫の棒でそこら中をたたいて騒ぎ回る習わしがあるのを、鬼は知らなかったのだ…。
その弐百弐拾五 那智山の鬼
怖さ:4
山の妖怪
出没地域:那智勝浦町
昔、那智山に鬼がいて、人々を襲った。ほとほと手を焼いた新宮の殿様は、古座奥に住む狩場刑部左衛門(かりばぎょうぶざえもん)という武士に退治を命じた。刑部左衛門は3年がかりで千本の蓬(よもぎ)の矢を作り、退治に臨んだ。しかし、鬼は大きな釣鐘を頭にかぶって矢を防ぎ、999本の矢を射られても当たらない。刑部左衛門は「これで矢が尽きた…」と言ってひれ伏した。鬼はこれ見よがしに釣鐘を脱いで襲い掛かったが、刑部左衛門は隠し持っていた千本目の矢を鬼の眉間に突き刺して退治した。以後、刑部左衛門は褒美(ほうび)として、那智谷の木の実を永久に拾える権利を願い出て、年に一度、古座奥から那智へ来て、木の実狩りを楽しんだ。
その弐百弐拾六 淵の主(ふちのぬし)
怖さ:5
川の妖怪
出没地域:紀の川市桃山町
昔、紀の川市桃山町調月(つかつき)にある立派な神社の後ろが森になっていた。近くを貴志川がうねって流れており、森の北側辺りは深い淵だった。この淵の主は大きなドジョウで、時折、牛鬼(うしおに)に化けて人々を襲った。そのころ、調月には能木(あたぎ)なにがしという弓の名人が住んでいた。村の衆は牛鬼退治を頼んだ。牛鬼は体を2つにして使い分け、一方は美人に化けて人の目を引きつけ、もう一方の本体は反対側に隠れていて食いつくという。能木は秘蔵の大弓を持ち出し、大ドジョウの棲む淵へ通った。5日目の晩、娘に化けた牛鬼が能木の方へ近づいてきた。「おのれ妖怪」。能木は大弓を娘に向けた途端に後ろを向いて、大きな口を開けて食いつこうとしている牛鬼目掛けて矢を放った。牛鬼は絶叫して、それから二度と姿を見せなかった。
其の弐百弐拾七 三尾川(みとがわ)の牛鬼
怖さ:0
川の妖怪
出没地域:古座川町
昔、古座川町の三尾川谷に牛鬼が棲んでいた。ある日、上田又之助という少年が淵のほとりを通りかかると、一人の少女が現れて、「空腹なので、何か食べ物がほしい」と言ってきた。又之助は可哀想に思って、自分の持っていた握り飯を少女に与えた。後日、川に大水が出た時、又之助は足を滑らせ、川に落ちた。川の流れに巻き込まれ意識が遠くなる中、先日の少女が現れ、牛鬼の姿になり、川に飛び込んで又之助を助け出した。しかし、牛鬼は人間の命を救ったために生きることを許されず、真っ赤な血を噴き出しながら水の中に溶けていったという。
新型コロナウイルス対策に効果あり?〜疫病退散系妖怪クイズ
⑴昨年、注目を集めたアマビエ。江戸時代、肥後の国(今の熊本県)ではどこから現れた?
㋐海
㋑川
㋒池
㋓湖
⑵田辺市に伝わる件はその絵を貼ると、厄除招福のお守りになると言われる。顔は人、では体は?
㋐ねずみ
㋑うし
㋒とら
㋓うさぎ
⑶疫災除けにとその絵が売られた豊年亀。江戸時代、新宮市で見つかったものの体長は?
㋐2.1㍍
㋑3.2㍍
㋒4.3㍍
㋓5.4㍍
… … … … … …
妖怪クイズ答え
⑴=㋐海(1846年、毎日、夜になると海に光る物体が現れるため、役人が見に行くと、アマビエが出てきて、「6年間は諸国で豊作が続くが、疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言したと伝わる)
⑵=㋑うし(生まれてすぐ、世の中にとって重大な予言をし、それは必ず当たるものの、その予言が現実になると、死んでしまう)
⑶=㋓5.4㍍(1839年、現在の新宮市〜三重県熊野市の海岸で生け捕られた豊年亀は、長い黒髪の美しい女性の顔に2本の角を持ち、大きな亀の甲羅を背負い、腰蓑のような尾が長くのびていたという)
(ニュース和歌山/2021年1月3日更新)