今回は、和歌山市の和歌の浦散策隊さん(63)からご質問を頂きました。「秋葉山は正式名称は弥勒寺山というが、なぜ秋葉山と呼ぶのでしょうか」

 和歌浦の北、標高73㍍。プールや公園で知られ、何の疑いもなく「秋葉山」と呼んでいました。調べると、山の名は「弥勒寺山」「御坊山」。市も「御坊山風致地区」として管理しています。

 和歌山市立博物館学芸員の佐藤顕さんに尋ねると、中世から昭和へ至る歴史の積み重ねがあってのようです。

 


 

秋葉権現が公園名に

 「秋葉山は正式名称は弥勒寺山というが、なぜ秋葉山と呼ぶのでしょうか?」とのご質問。和歌山市立博物館の佐藤顕学芸員に聞きました。

 まず「秋葉山」と私たちが呼ぶ山の名前です。江戸時代の『紀伊続風土記』によると、古くは弥勒寺という寺があり、弥勒寺山と呼ばれていました。しかし、戦国時代、織田信長と激しく対立した本願寺が1550年、この地に御坊(寺院)を築き、御坊山とも呼ばれるようになりました。

 江戸時代に入り、1793年、ふもとの五百羅漢寺の僧が静岡から火を伏せる神様、秋葉権現社(写真)を勧進します。「『秋葉山は弥勒寺山の南の端をいふ』と紀伊続風土記にあり、当時は山の一角を秋葉山と呼んだようです。各地で秋葉権現がある所は秋葉山と呼ばれています」と佐藤学芸員。

 決定的なのは昭和に入ってからです。『和歌山史要』によると、1938年に一帯2・7㌶を和歌山市が譲り受け公園化。戦後も50年に北の峰6・6㌶を公園とし、山全体が「秋葉山公園」となりました。その後、屋外プールができ、市民に親しまれました。

 佐藤学芸員は「山としては弥勒寺山、御坊山ですが、公園名の秋葉山がより一般的になったのではないでしょうか」とみています。

(ニュース和歌山/2021年1月16日更新)