ネットが結んだ英国との縁

 2012年4月、当寺のブログで、春の嵐の様子を記事にしました。その記事を目に留めたのが、英国人研究家、アントニー・クミンズ氏です。

 彼は日本の兵法を研究しており、文中にある「名取家」が忍者の家系かを確かめるため、日本人翻訳家を通じ当寺へ連絡してきました。突然のことに面食らいましたが、話では紀州藩の軍学指南に「名取流」というのがあり、その中興の祖「名取三十郎正澄」が忍術書「正忍記」を書いているのです。また、名取流の他の書物も、兵法や侍の生活規範を教え、非常に優れているとして、アントニー氏は敬愛し、記録にない名取家の墓地を日夜探していたようです。

 果たして彼の指摘は的中し、墓石や位牌の発見へとつながりました。偶然が重なり、ネットがつないだご縁により光を浴びた紀州忍術「正忍記」ですが、実は、古来から現代に至るまで日本三大忍術書の一つに数えられており、時を超え、洋の東西を超えて興味を引く書物だったのです。

 私がそれを実感したのは、発見から4ヵ月後に、伊賀で行われた三重大学「忍者文化協議会」に出席した時でした。名取三十郎の墓石発見のニュースは伊賀にまで届いていて、その会場で私は多くの国内外の人に祝福を受けました。さらに「正忍記」は、我々のイメージする忍者像の情報源であり、その根拠となった書物だと知りました。事の重大さに気づくと共に、これは和歌山の財産になるのではないか、紀州は伊賀、甲賀とならぶ忍者の聖地となる可能性を秘めた土地柄なのではないかと感じました。

 私は帰るや、発見された墓石を一般公開し、「正忍記を読む会」を立ち上げました。

 会の目的は「名取三十郎」と「正忍記」の認知度を上げること、そして忍者という親しみやすさと海外にも通用するコンテンツを通じて観光誘致など和歌山市の活性化を目指すことです。大きな武器は、他の地にはない忍術のエビデンス(証拠)が紀州にあるということです。紀州忍術で和歌山を元気に!

(ニュース和歌山/2021年2月20日更新)