和歌山には全国に誇る名所、旧跡がたくさんあります。今回はその中の一つ、海南市の60代女性から届いた質問「和歌浦の不老橋はなぜあの形?」を調べます。
不老橋は鹽竈(しおがま)神社の南にあるアーチ型の石橋で、江戸時代に造られました。水面に映る半円形が美しく、国の名勝、和歌の浦を構成する一つで、和歌山市指定文化財となっています。
朝日や夕日を受けて様々な表情を見せる石橋。気になる謎について、同市文化振興課で聞きました。
芸術好きな殿様が考えたから
「和歌浦の不老橋はなぜあの形?」。和歌山市文化振興課に聞くと、「文化芸術が好きな紀州藩10代藩主、徳川治宝(はるとみ)が建造させるにあたり、見栄えの良い特別なものにしたかったのではないか」とのこと。
完成は1851年です。紀州東照宮の和歌祭で、神輿に乗せたご神体が休憩する場所、御旅所へ渡る橋として、輿洗岩と呼ばれる2基の岩の上に架けられました。
治宝は文化芸術への造詣が深い人を指す「数奇(すき)の殿様」と呼ばれ、この時代を代表する文化人。雅楽の楽器収集のほか、養翠園や今はない西浜御殿などを建造し、不老橋もこの一つです。
1992年発行の『和歌の浦 不老橋』によると、石造りの優美な曲線の橋は江戸時代、九州地方以外では珍しく、アーチ部分を築くために肥後(熊本)の石工集団が呼ばれました。橋脚はなく、半円形の構造だけで支える技術は非常に高度で、同課は「現代の石工が『解体すると今の技術では復元できない』と言うほど、絶妙なバランス。門外不出の技術だったはずの石工集団を呼べたのは、紀州徳川家の権力と財力があったからでは」と教えてくれました。
なお、欄干の装飾は湯浅の名工と言われた石屋忠兵衛が彫ったと言い伝えられています。
(ニュース和歌山/2021年3月20日更新)