新型コロナウイルスの感染が広がる中、電車に乗って旅行…はなかなか難しくなりました。今回は和歌山市のサッコさんから届いた「なぜ岡公園に蒸気機関車? どこを走っていたの?」を調査します。

 和歌山城の南側にある岡公園。この一角に蒸気機関車と市電が展示されています。サッコさんは「子どものころ乗った市電は分かりますが、蒸気機関車は知らなくて…」と気になったそうです。

 公園を管理する和歌山市役所和歌山城整備企画課に聞きました。

 


 

先に市電を展示していたから

 「なぜ岡公園に蒸気機関車? どこを走っていたの?」。和歌山市役所和歌山城整備企画課に聞くと、「資料は残っていませんが、おそらく先に市電が展示されていたからでは」とのことでした。

 50年前の1971年3月末、和歌山市と海南市を結ぶ市電が廃線になりました。寂しがる市民のためにと、南海電気鉄道が2市へ寄贈。和歌山市は岡公園へ、海南市は黒江にある室山団地の児童公園に設置しました。

 翌72年、和歌山県内で活躍していた蒸気機関車の廃車が決まりました。解体を待っていたところ、和歌山市が譲ってほしいと国鉄へ依頼し、73年、市電のある岡公園へ来ました。

 この車両、大阪、東京、鹿児島などを経て59年に和歌山へ。以来、廃車までの13年間で紀勢西線(現きのくに線)や和歌山線の約92万㌔を走りました。今付いているヘッドマークは、この機関車が和歌山─紀伊田辺間でけん引した準急「くまの」にちなみ、岡公園への設置に携わった元国鉄職員が手作りしたものです。

 この元職員が立ち上げ、車両の管理・修繕を行うSL保存会によると、「映画『鬼滅の刃』がヒットした昨年秋以降、子どもたちからの呼び名が“きかんしゃトーマス”から“無限列車”に変わった」のだとか。世代を超えて愛されているんですね。

(ニュース和歌山/2021年4月17日更新)