今回は、故郷を感じさせる菓子についてのご質問。複数の方から頂いた「和歌浦せんべいの名前の由来は?」です。
和歌浦せんべいは、和歌浦の「観海閣」「不老橋」「蓬莱岩」など風景の焼き印が入った玉子せんべいです。甘くこうばしいのが特徴で、総本家駿河屋の商品(写真)が有名です。「懐かしい」と感じる方も多いでしょう。
紀州の和菓子と文化を考える会会員で、冊子『紀州の玉子せんべいずかん』の編集を担当した山本智子さんに聞きました。
観光ブーム 誕生後押し
「和歌浦せんべいの名前の由来は?」との質問。紀州の和菓子と文化を考える会の山本智子さんにうかがいました。
古い記録は江戸時代後期に書かれた総本家駿河屋の見本帳。「玉子せんべい」の文字があり、絵と材料名が記されています。ただ当時の駿河屋は紀州藩の御用菓子司で、庶民の口に入ったかどうかは分かりません。一般に出回り始めたのは明治時代以降です。観光ブームが起こり、多くの人が景勝地を訪れるようになってからです。
和歌浦も明治から戦後にかけて全国に知られるようになり、この間に「和歌浦せんべい」が誕生したとみられます。名所にちなんだ玉子せんべいは、道成寺の伝説(御坊市)や熊野古道(田辺市)など県内に18種類あったのが分かっています。
「和歌浦せんべいは丸形で、焼き印は観海閣が代表的です。駿河屋さんは6種の絵柄があり、私はシオマネキを描いた鉄砲蟹の絵が好き」と山本さん。
最盛期には30店舗以上で作られ、全国各地から来て買って帰る人もたくさんいました。しかし、昭和30年代末には減り始め、現在、和歌山市内で5店舗が昔ながらの味を守っています。中には焼きたてを食べさせてくれる店もあります。
「店ごとに食感や絵のタッチに違いがあり、楽しいです。最近はパフェに入れたり、アイスと合わせたりする喫茶店もあり、いろんな味わい方が生まれています」と話します。
(ニュース和歌山/2021年8月14日更新)