1619(元和5)年、紀州徳川家初代頼宜が紀州に入国すると、城郭の拡張や城下町の整備にとりかかりました。街道の整備も実施され、嘉家作りの家並が途切れるところから八軒家までの間、道路の両側に松を植え、京橋を起点として一里のこの地点に一里塚が築かれました。
写真は昭和40年前後の撮影でしょうか。二本の松は昭和50年代に相次いで枯死し、新たにクロマツが植栽されました。道路の両側の塚がほぼ完全な形で残るのは大変珍しく、なにげなく通り過ぎていますが貴重な交通遺跡です。
紀国堂店主、溝端佳則さんの古写真を紹介します。
(ニュース和歌山/2021年9月4日更新)