ニュース和歌山で連載中の「わかやま古墳めぐり」。今回はお正月特別企画として、紀伊風土記の丘、田中元浩学芸員の案内で、和歌山を代表する古墳で国の特別史跡「岩橋千塚古墳群(※)」を歩きました。900以上の古墳がひしめく中で特徴的な3古墳を見学し、魅力を体感しました。
過去にならない史跡
絶景が語る首長の権力
同古墳群のうち紀伊風土記の丘には「前山A地区」「前山B地区」「大日山地区」「大谷山地区」と天王塚古墳周辺の和佐地区と5エリアある。古墳が集まる「前山A」が見学しやすいが、今回は道路工事の関係で、標高141㍍、大日山山頂の大日山35号墳を目指す。
長い坂を歩んで30分。休憩所を過ぎ、急な坂を上がる。長さ86㍍と県内最大級の前方後円墳、大日山35号墳が見えた。
「重要文化財の翼を広げた鳥形埴輪、両面人物埴輪もここから出土しました。6世紀前半の首長の墓です」と田中学芸員。
前方部と後円部の間に埴輪が並ぶ一角は造り出しと呼ばれる、祭祀空間。神殿や人、力士、家畜と出土した埴輪を元に当時の状態を再現した。「人々が共飲共食する場です。王があの世で目にする光景と考えられています」
階段を上り、古墳上に立つ。和泉山脈、紀の川、海と平野が一望できる。別の世代の首長が眠る花山、大谷山の頂きも見通せる。首長の絶大なる権力と支配の誇示を目の当たりにした。
畿内と異なる独自の死生観
大日山から東へ尾根伝いに進む。道沿いに西から郡長塚、知事塚、将軍塚と6世紀前半から中ごろの古墳が並ぶ。大正時代の大雨で古墳の姿があらわになり、対応した当時の名草郡長にちなみ、郡長塚の名がついた。その後、これより大きいのが知事塚、さらに大きいのが将軍塚、天王塚と規模を社会的地位に見立てて命名された。
展望台南の小道に入り、少し西へ戻ると、小高い丘のような将軍塚が真正面に現れる。長さ42㍍の前方後円墳で、石室は2つ。後円部の石室は、常に内部が見学できる。
入口通路は人一人が通れる幅の「羨道」(せんどう)、続いてやや狭まった「玄室前道」(げんしつぜんどう)。奥に死者を埋葬する「玄室」(げんしつ)が続く。岩橋千塚古墳群の横穴式石室の特徴的な造りだ。
特に将軍塚は、玄室の高さが4・3㍍と天王塚に次いで高く、玄室の入口に扉石を置き、閉じ込める。田中学芸員は「玄室に遺体が横たわり、魂が天井の高い空間を浮遊していると考えたようです。畿内の古墳は、遺体を石棺などで閉じ込めますが、岩橋型は違う。国内では九州、国外では朝鮮半島でこの形がみられます」と教えてくれた。
玄室の壁には青石(結晶片岩)が精緻(せいち)に積み上げられ、石梁(いしはり)や石棚を水平に配した内部は繊細で大胆な造形美がある。思わず感嘆の声が漏れた。
市民と再現 前山A58号墳
尾根伝いから北斜面にあるのが「前山A地区」。5〜6世紀後半の方墳や円墳が数多い。「古墳銀座です。資料館から15分位なので、気軽に見学するならこの地区がおすすめ」
個性豊かな古墳を横目に「前山A58号墳」へ至る。長さ19・6㍍の、6世紀前半の前方後円墳で、市民との協力で再現した円筒埴輪や、杖の飾りを模したと見られる石見型埴輪が立ち並ぶ。同じ前方後円墳でも県内最大級の大日山35号墳と比べると、小さい。それでも「下から見ると、大きく見えるように工夫されています」と言う。
駆け足でめぐった岩橋千塚古墳群。その魅力と奥行きは決して過去のものではない。玄室の高さが5・9㍍と全国2位で、その構築技術で考古学ファンを魅了する首長墳、天王塚古墳の整備も現在進む。歴史資産としてまだ花開きそうだ。
岩橋千塚古墳群
4〜7世紀に造られた古墳が集まる全国でも有数の「群集墳」。豪族「紀氏」が眠ると考えられている。1971年に紀伊風土記の丘資料館が開館後、古墳をめぐるコースが整い、内部を公開している古墳は15基ある。1周約3㌔。歩いて1時間半〜2時間程度だが、山地のため健脚向き。
古墳ガイド今春発行 和歌山県内 60数ヵ所紹介
ニュース和歌山は2021年に開館50周年を迎えた紀伊風土記の丘編集の『わかやま古墳ガイド』を春に発行する予定です。
一般読者向けに分かりやすく県内全域の古墳を紹介する和歌山初のガイドブック。紀伊風土記の丘の学芸員が、岩橋千塚古墳群はじめ、紀北から紀南まで60以上にわたる古墳の特徴や見所を説明します。見学に役立つよう地図などの基礎情報も充実させます。
また、和歌山の古墳時代についての概要に加え、実際に古墳見学の装備や注意点も掲載。ニュース和歌山第3土曜の連載「わかやま古墳めぐり」をご覧になりつつ、発行を楽しみにお待ちください。
(ニュース和歌山/2022年1月3日更新)