駕之古址(しゃかのこし)古墳は県史跡、釜山古墳群(木ノ本古墳群)にある、県内最大級の前方後円墳です。
難しい名前ですが、「車駕」とは中国でいう皇帝、日本では天皇にあたる人が乗る車のことで、「車塚」という前方後円墳を指す名称の豪華なものにあたります。昔から前方後円墳として知られていましたが、平地にある低い砂山状の古墳だったため、全体の大きさが分かりづらく、畑となっていました。
この場所が注目を集めるようになったのは、1988年のこと。宅地造成の計画に伴い発掘調査が行われ、小さな金の勾玉が見つかりました。盛り土の流出や盗掘に見舞われても残っていたこの勾玉は日本で唯一、金でできたものとして有名になり、この古墳を破壊から守る保存運動の原動力となりました。加工は精密で、5世紀当時、金工技術の進んでいた朝鮮半島の新羅で作られたものと考えられています。この古墳は、海と陸をつなぐ生産・交易拠点を抑えた紀氏の首長墓だったのかもしれません。
発掘調査はその後も続き、長さ86㍍の前方後円墳で、古墳を囲む周濠(ごう)と外堤を含めた東西の総長が約120㍍に及ぶ和歌山県最大級であることが分かりました。
古墳の西側、磯ノ浦方面から伸びた、砂が堆積してできた土手状の高まりには、西庄遺跡という大型の海浜集落がありました。5世紀中ごろでは国内最大級の塩作りの拠点であったことが知られています。平安時代の文献をみると、車駕之古址との間は牧場だったそうですが、牛馬を飼い始めた時期はこの地に古墳が築かれたころにさかのぼるのではないでしょうか。
調査後は市民公園の中に、その形をイメージした盛土で古墳が表現されています。公園に駐車場はありませんが、すぐ北側の木ノ本文化会館か木ノ本児童館に声をかければ車を停めさせてもらえます。児童館駐車場の一角には、古墳の北を通る溝の復元展示もあるので、ぜひご覧ください。(和歌山県立紀伊風土記の丘学芸課長 丹野拓)
(ニュース和歌山/2022年3月26日更新)