重度の脳障害を抱えるシモちゃんという10歳の男の子のエピソードにふれました。滋賀県の重症心身障害児施設での、1960年代の取り組みです(『発達を学ぶ発達に学ぶ』全国障害者問題研究会)。
シモちゃんは度々発作におそわれ、食事も入浴も寝たままで、「寝たきりの重症児」と言われていました。しかし、職員は「寝たきりとはどういうことか? 心まで寝かされたきりになってないか」と問い直し、シモちゃんの「できること」を探します。発見したのは「シモちゃんは寝た姿勢で覚めていられる」ことです。寝ていることしかできないのではなく、シモちゃん側に立ち、外の世界と向き合うため視点を変えたのです。
うつぶせで寝ていたシモちゃんの姿勢を変え、乳母車に乗せて歩きます。手のひらにくっついたような親指がゆるむよう働きかけ、三拍子のリズムでふれた時に反応があることが分かります。そしてある時、無表情なシモちゃんがリズムに共鳴するように口元をほころばせました。
シモちゃんへの働きかけには「安静をやめ、体調を崩したら大変だ」との慎重論と「発達に必要なものを教育がつくるべき」との積極論に職員の意見が分かれます。シモちゃんへは積極論をとり、教育的働きかけの可能性を開きました。「発達は他者とのつながりから生まれる」とシモちゃんから学んだのです。
今夏、昨年の相模原障害者施設殺傷事件に対する論説を数多く目にしました。あの凶行、そして容疑者を讃える声がネットにあふれたのは衝撃でした。自分と立場も生い立ちも違う人の心を思わず、ただ税の無駄と遠くから切り捨てる。そんな声を見ていると、友人、家族に対し、粘り腰で向きあい、絶望したり喜んだりと一進一退を経て互いの成長を得ていく経験が社会から薄れてきているのを感じます。そんな経験をしていれば、やすやすと見知らぬ他者に酷薄になれないはずなのです。
さて、職員たちはなぜシモちゃんの笑顔を目にできたのでしょう。それは最初の視点の転換です。「寝たきり」を「寝た姿勢で覚めていられる」と読み替え、シモちゃんと世界をつなぐ小さな入口に至りました。この視点の移行こそ愛情であり、どんな苦しい状況でも光を見い出せる人間の知恵に対する信頼を私の中に呼び起こしてくれます。
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今号から毎月第2土曜号に髙垣善信・本紙主筆の「掌論」(しょうろん)を掲載します。
(ニュース和歌山/2017年9月9日更新)