夏を迎え、海辺が恋しい季節になりました。和歌山には海水浴場がたくさんありますが、そのうちのひとつ磯ノ浦海水浴場が、一人の男性の命がけの努力によって今に受け継がれていることはあまり知られていません。

 そういう私も昨年に刊行された梶川哲司さんの著書『和歌山の公害』で知りました。男性は和歌山市の宇治田一也さん(1925〜84)。塾を営みつつ、思索を重ねた在野の文明論研究者です。

 紀の川から北へ延びる二里ヶ浜は古くから景勝地として知られました。戦後は住友金属が松江、古屋、西庄へと浜を埋め立て、工場を拡張しました。工事は磯ノ浦へ迫り、反対運動は起きましたが、工事は止まりません。そんな中、宇治田さんは工事中止を求め、1969年3月、和歌山県庁横公園で無期限ハンストに出ます。33日に及んだ決死のハンストは新聞を通じ、全国に知れ渡ります。工事は中止されなかったものの磯ノ浦まで埋め立ては及びませんでした。

 宇治田さんの言葉を梶川さんは拾います。「ふるさとの海、母としての海、美しい海と一緒ならたとえ死んでも良い」「なくてもいいぜい沢や安易な便利さに振り回される生活ではなくて、本当に人と自然とが調和をとり仲良く暮らせる、例えば安定した水田耕作や手作りの自足感、風鈴の音の涼しさが自然にあるような生活こそふさわしい」。人間の命にとって本来の資源である自然を、人間だけの都合で奪うのでなく、寄り添う暮らしにこそ恵みと幸福があると考えていたのです。

 「美しいものは守る。その純粋な思いは時に怖いほどでした」。宇治田さんの次男、誠志さん(61)は振り返ります。「次々に起きる問題に父は磯ノ浦が残ったのをかみしめる時間はなかったと思います。今、生きていたら都市の農地問題や原発と取り組むことが増え、大変だったかもしれません」と話します。

 先月、G7でカナダと欧州が採択した「海洋プラスチック憲章」に日本は署名しませんでした。ペットボトルやレジ袋が砕けたものを、魚が食べて起きる生態系汚染が深刻です。あたりまえになっている便利が私たちを追い詰める状況は悪化しています。

 言うまでもなく人間は自然の中から生まれてきました。それを守るのは私たちを守ること。単純な理屈ですが、今の〝あたりまえ〟を覆すのを嫌がるのは私たち自身でもあります。浜に広がる青空と水平線、触れてくる風、波と戯れる人の姿、その豊かさを感じれば、進む方向は自ずと分かります。 (髙垣善信・ニュース和歌山主筆)

(ニュース和歌山/2018年7月14日更新)