チャララーララ、チャラララララー、王将ラーメンでございますー。夜分、耳にしたことがある人は多いでしょう。和歌山で唯一となった軽トラックの屋台「王将ラーメン」です。和歌山市の藪内英則さん(77)が始め、今年で創業44年。藪内さんは今も現役で夜の町を走ります。トレードマークの阪神タイガースの帽子は欠かしません。
藪内さんは大阪出身です。大阪は屋台のなわばり争いが激しく、同業者のいない和歌山を選びました。開業当時は景気がよく、夜に開く店もない。小腹が減る時分にチャルメラを響かせると、家から人が飛び出てきます。1日300杯に及んだ日もあります。
3年で15台の軽トラックを抱え、エリアは紀南を含む県内全域に広げました。人も多く雇い、当時、ある公社勤務の人が夜間バイトし、昼の給料を上回ったほどでした。
「時代の流れには勝てませんでしたよ」。ファミレスやコンビニと夜に開店する店が増えるにつれ、売り上げは下がりました。辞める人が出る度にトラックを手放し、数年前には藪内さん一人に。創業当初の形に戻ったのです。
しかし、最後の一台は愛されています。昔ながらの味に親しむお得意さんに加え、昨年末から始めたツイッターを通じ、お客さんが増えています。昨年、女性のお得意さんに呼ばれ、ある空き地に行くと、次々と人が集まってくる。不思議に思い尋ねると、皆、女性のツイッターのフォロワーだったのです。早速、孫に習い、ツイッターを立ちあげました。「その日走る地区を発信すると、気軽に呼んでくれるようになりました」
「皆、私の身体を気遣って、『おっちゃん、辞めんといてよ』と声をかけてくれます。元気で働け、待ってくれている人がいるのは財産」と藪内さん。元気の秘密は〝自分の後に咲く夢〟です。
「この仕事は昔は低く見られました。長年の努力で歌舞伎役者が讃えられる存在になったように、私たちの仕事もいつか花形になる。私はその種蒔きです」。実は今も希望する人はいますが、稼ぎ第一の人はやんわり断ります。「信頼を培った私のやり方を継ぐ弟子ならいい。私のずっと先で花は開きます」と望みます。
「子どもたちが喜んで、屋台の周りを走り回るんですよ。可能性はまだまだあります」と柔和にほほえみます。
冬の夜、遠く響くチャルメラの音、そこには夢が詰まっています。 (髙垣善信・ニュース和歌山主筆)
写真=屋台は藪内さんの手作り
(ニュース和歌山/2020年12月5日更新)