きょうは阪神・淡路大震災から20年。本紙も含め、新聞、テレビは20年前と今を伝えている▼阪神地区は若い頃、6年間過ごした思い出の地だ。もう1年いたら間違いなく被災していた。なじみの商店街もアルバイトしていた喫茶店も震災で姿を消した。訪れると、消えたものばかりを数えてしまう▼震災後、助け合いや近隣の大切さが叫ばれ、阪神淡路は、戦後の個人を中心にした価値観の転換点になった。が、東日本大震災後の今日まで、個とコミュニティのバランスは今もって模索のさなかにある▼私自身があの震災で最も胸に刻んだのは一瞬の尊さだ。日々の労苦に耐えて歯をくいしばって生きていても、地震の一撃は容赦なく命を奪ってしまう。ただ、その自然の残酷さを含めての私たちの命であると知った気がする▼倒壊した家屋で、隣に眠る家族を守ろうと覆い被さる姿で亡くなっていた方が多かった。最後の一瞬まで、できることを精一杯。そんな風にありたいとあれからずっと思っている。(髙垣)
(ニュース和歌山2015年1月17日号掲載)