1月も終わりに近づいた時期ですが、今年頂いた年賀状に、「成長経済志向を切り替えて『定常経済』にシフトしようという新しいうねりが起こり始めている」との言葉がありました。送り主は大阪を拠点に活動する建築士で、住民同士が対話しやすいようなコーポラティブハウス、自然と共生できる住宅などに力を入れている方。改めて、その意味をかみしめました。
「定常経済」とは、「経済活動を活発に行いながらも、規模が拡大してゆかない経済」のこと。
成長を求めないと言えば、「現状維持」「旧態依然」との言葉が浮かび、「思考停止」「努力しない」といったマイナスのイメージに陥りがちですが、そうではありません。目標とするところが、物質的な量の拡大でなく、質の向上。いわば、人間が従来思い描いてきた豊かさや幸福の再定義につながる内容です。
経済学者ハーマン・デイリーは定常経済の定義の一つとして、「再生可能な資源の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない」と示しています。漁業を例にとれば、「魚を獲る速度は残りの魚が繁殖してゆく速度を超えてはならない」こと。そうでないと、魚がどんどん減ってしまうわけで、至極当然でしょう。
その建築士は、「経済成長を闇雲に目指したことで多くの社会問題が発生している。それを反省する中で、定常経済へのシフトへのうねりが起きたのだろう」とみています。 確かに高度成長時代以降は、私たちが普通に消費する以上のモノを生産することで経済成長を維持してきた面があります。しかも、長く不況の中にいた私たちの多くは、「成長」という言葉に引かれ、「成長」を標ぼうする人を支持しています。そんな中で、定常経済へのシフトのうねりは、どれほど大きくなっているのでしょうか。
人間が生きる上で必要とする以上のモノを生産すれば、使われないまま廃棄されるモノが増えます。もちろん、そんな経済活動はいつまでも続きはしないのですが、それにストップがかかっていないのも、また現実。
その現実を覆し、ストップをかけられるのは私たち市民。当たり前のことを市民から発信することで、成長を標ぼうする人たちが方向転換し、一般の考えに従う。その建築士は、こういう意味で結んでいました。私たちもまず、自らの生活、行動から見直したいものです。(小倉)
(ニュース和歌山2015年1月24日号掲載)