最近、新聞や雑誌で「ポスト・トゥルース」という言葉をよく目にします。直訳すると「脱真理」。「世論形成にあたり、感情や個人的な信念の訴えかけが影響力を持ち、事実が二の次になる社会状況」を言います。
インターネットの普及が背景にあり、イギリスがEUを離脱し、トランプ大統領の登場で、この言葉が口にされるようになりました。報道機関をうそつき呼ばわりする大統領自ら、ありもしなかったテロを語り、自らへの支持を求める。そういった人が核のボタンを握る。時にデマと真実が入り交じるネット空間そのままに見えます。
日本では、2011年3月11日の東日本大震災以降、脱真理的な状況に踏み込んだと言えるでしょう。原発事故後、報道機関は原発事故の危険性を過小評価し、専門家は裏付けを与えました。だれかの信念が影響したわけではないですが、事実を伝えるべき報道が自ら底を抜いたのです。報道が伝える「事実」は、選挙はじめ市民が社会的判断をする際の判断基盤であり、民主主義社会の命です。そこにうそを含むのはテロ級に危険です。
メディア側の苦闘の記録というべき書籍が読まれています。NHK「クローズアップ現代」のキャスターを23年間続けた国谷裕子さんの『キャスターという仕事』(岩波新書)です。「事実の豊かさをそぎおとす。わかりやすくする」「感情の一体化を促す」「視聴者の情緒や風向きに寄り添う」というテレビの危うさに国谷さんがいかに抗ってきたかつづられています。
テレビでは、ニュースをわかりやすく解説する番組が人気です。しかし、国谷さんはわかりやすいことに視聴者が慣れると、わかりやすいものだけに興味を持つようになる。そうではなく、わかりやすさの裏にある課題の大きさ、難しさを伝えようとしたと言います。定義が定まらない言葉や一定の方向づけを帯びた言葉は廃しました。「視聴者に同じ土俵に上がってもらうため」です。それはテレビに対する内側からの挑戦で、視聴者に深い理解を促す試みです。
大きな影響力を持つに至ったインターネットは、テレビとは全く質が違います。それでも国谷さんが伝え手としてふまえたテレビの危うさを私たちが心にとめるだけでも、「脱・脱真理」への一歩になるでしょう。情報を扱う私たちの作法が国家の不作法へなりかねないよう注意はしたいものです。 (髙垣)
(ニュース和歌山より。2017年3月11日更新)