海南市黒江の町並み保存活動に取り組む「黒江JAPAN」のメンバーらが10月、芸術の都イタリア・フィレンツェを訪れ、黒江特産の紀州漆器をPRすることになりました。

 この訪問は6月、海南から埼玉県川越市へ街づくりの視察に行ったのがきっかけです。3月のこの欄で紹介しましたが、現地の若手経営者や芸術家らでつくる「川越スタイル倶楽部」の代表、日疋好春(ひびき・よしはる)さんの曾祖父、信亮さんが黒江出身で、その縁から街づくり活動を行う両市のメンバーが交流しているのです。

 川越スタイル倶楽部はこれまで、アメリカ、韓国、中国、シンガポールに出向き、プロモーション活動を行ってきました。日本とイタリアの国交150周年だった昨年は、フィレンツェで実施。今年も現地を訪れることになっており、「日本の伝統文化の一つである漆器の代表として、売り込んでみませんか」と提案を受けたそうです。

 ドナテッロ広場で漆器をPRするほか、現地の料理専門学校生と交流したり、日疋さんがフィレンツェに構える焼き鳥店で漆器を使ったデモンストレーションを行ったりと、現在、計画を練っている最中です。黒江JAPANの池原弘貴代表は「漆器はフランスでは知られていますが、イタリアはまだ浸透していない。〝漆器=紀州〟とPRしたい」と意気込みます。

 川越を視察した池原代表に聞き、興味深かったのが、今は観光客であふれる川越もかつてはシャッター街で、30年かけ活気を呼び戻したとの話。例えば現在、蔵造りの街並みが人気を呼ぶエリアは以前、その蔵が見えないよう看板で隠していたそうです。看板を外すところから始め、建物の高さや色合いなどルールを決め、美しい街をつくっていきました。「海南も10年以上かかると思います。一度のフィレンツェ訪問では難しいですが、まず現地に出向き、足がかりをつくることが大切」と池原代表。長期戦は覚悟の上です。

 ちなみに、日疋信亮さんは1934年の海南市発足に大きく貢献した人物です。海南市教委発行『海南郷土史』には「海南市の出現まで明治大正昭和の三代三十余年尽力した」とあります。粘り強く取り組むのは海南人の得意とするところなのでしょう。黒江も時間は必要でしょうが、信亮さんがつくってくれた縁を大事に、息の長い活動を期待します。(西山)

(ニュース和歌山/2017年7月22日更新)