教室で、家庭で育てるべきものは何なのか。考えさせられました。本紙12月2日号1面〜2面に掲載した記事「授業変えるか〝学び合い〟」です。
未読の方は本紙のホームページでご一読頂ければと思います。「学び合い」は2020年の新学習指導要領に盛り込まれる「主体的、対話的で深い学び」実現を前に活発化している試みです。手法は幾つかあり、和歌山市の中学校は学習院大の佐藤学教授が提唱する「学びの共同体」を取り入れ、海南市の小学校では上越教育大の西川純教授の『学び合い』のスタイルで授業を行う先生がいます。
違いは多々ありますが、「学びの共同体」は、生徒を4人1組にし、課題を記したプリントを配り、生徒一人ひとりに取り組ませます。教え合うよう指示せず、分からない生徒が同じグループの生徒に尋ねる自発性を大切にします。一方、『学び合い』はグループになってもならなくても時間内に課題を全員が助け合い達成するのを目指します。両方とも教師は説明も板書もせず、思考を促す声かけをするのみです。先生の余計なおしゃべりも良しとしません。
私はいずれの授業も実際に見て衝撃を受けました。自分たちが慣れ親しんだ先生が教壇に立って話す、いわゆる一斉授業とあまりに違います。ただ「学びの共同体」を先進的に取り入れた中学校では授業中に立ち歩き、眠りこける生徒はいなくなったと言います。他県では学力が向上した例もありますが、和歌山ではそこは次の段階のようです。
力を入れる教員から聞かれたのは「分からず、困ったら周囲に助けを求める力を育てたい」との言葉です。その力は子どもが大人になった時に子ども自身を支えます。また、学びの機会に受け身にならず、自分から知り、考えることがいかに人生を創造的にするか、ふれてほしいとの願いがそこにはあります。
学び合いに関しては異論や疑問もあるそうですが、私はこの試みが子どもを幸せにする力に焦点を合わせているのに舌をまきます。こういう試みを生み出す専門家の努力にも頭が下がる気がします。
私はほぼ子育てを終えてしまったような年代ですが、親はとかく近視眼的になり、上から教え込み、子どもを社会の規格品に仕上げることに腐心しがちです。子どもが将来、自らを支えうる力とは何か。教育現場だけでなく、家庭の側からも深く考えることが必要です。(髙垣善信・本紙主筆 毎月第2土曜掲載)
(ニュース和歌山/2017年12月9日更新)