学校法人森友学園の国有地売却問題で、売買価格設定の経緯が未だ明らかになりません。最近の報道によると、内容はともかく、財務省は学園との取り引きを特例と発言した交渉時の音声データを実物と認めました。その一方で、学園から近畿財務局に出された取得要望書の黒塗り部分の開示に応じず、国会で追及を受けました。
役所が過去の記録を明らかにしない問題は、古くは水俣病、薬害エイズ事件でもありました。最近では国連平和維持活動における自衛隊の日報の所在が問題になりました。「消えた年金」も公文書のずさんな管理が原因とされています。
2011年施行の公文書管理法では、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」「主権者である国民が主体的に利用しえるもの」と位置づけ、「現在及び将来の国民に説明する責務をまっとうする」のを法の目的とします。
同法により、文書作成や保存期間の設定などが義務付けられましたが、保存期間が過ぎた文書の扱いは各機関のトップが決めます。廃棄は総理大臣の同意がいるものの、廃棄処分の撤回は多くなく、その評価は定まっていません。
中央省庁に限らず、例えば和歌山市などでも情報公開条例に基づき、文書の種類で期限を切り、保存、廃棄と分け、条例に関するものは永久保存されます。国から地方まで公的な事業は、場合によって後から検証できず、公的な損失がだれのせいでもなくなる道筋が今なおあるのです。〝民主主義の根幹〟は盤石とは言えないでしょう。
2009年の衆院選で、民主党が役所の無駄使いを指摘し、国民に説明のつく、国民主体の政治を掲げ、政権交代を果たしました。しかし、まるで首がすわらず、日本社会が本来迎えるべきだった新しい局面を遠ざけました。この罪はこの上なく重いと思いますが、国民が主人公の政治、行政というテーマは今なお残っています。むしろ切実になってきています。先に復興大臣の失言がありましたが、日本が復興庁を東北に置くといった国柄であれば、被災地を「あっち」と呼ぶような意識は生まれはしません。
戦後の脱却は、今も残る官尊民卑の意識をぬぐい去り、主権者として国民が尊重され、国民もその責任を自覚するといった、より民主主義が深まる形で成し遂げたいです。(髙垣)
(ニュース和歌山より/2017年5月13日更新)