発達障害という言葉を知らなかった30年ほど前。小中学校の同級生に、Aくんという男子がいた。突然叫び、走り回る──。当時の私は、彼の個性だと勝手に納得し、普通に話しかけていた▼クラスには中心的男子がいて、常にAくんの学校生活をサポートしていた。教室の移動、給食の時間、遠足や修学旅行のグループ活動。周りの女子や悪ぶっている男子もそれにならい、皆で見守るのが当たり前だった▼ある時、後輩がAくんをさげすむようなことを口にした。言葉にならない怒りがわき、Aくんの良いところを言い募った。後に、他学年には障害のある子がいないと知った。そして一部の偏見に激しい憤りを覚えた▼あの時、もっとできることがあったのでは…。当時の夢を見ては後悔する。それでもAくんと共にあり続けたあの優しい学年で過ごした日々は、一生の宝だ。パラリンピック選手の活躍に湧いた今夏。もっともっと色んな個性を持つ人たちへ心を向けられる人間になりたいと思う。 (得津)
(ニュース和歌山/2021年9月18日更新)