新しい年を迎えました。コロナという災いから丸3年となる今年、ちょっとした心の持ちようのお話です。

 「最後の日本兵」と言われた小野田寛郎(ひろお)さんはご存じですよね? 終戦を信じず、フィリピンのルバング島に約30年間潜伏し、1974年、帰国の途に就いた元陸軍少尉です。衝撃的なニュースとして、当時小さかった私も、テレビの画面に釘付けになった記憶があります。

 小野田さんのご本家が、海南市の宇賀部神社だと知ったのは、和歌山へ移住してしばらく後のこと。訪問した折、紀州ならではの古(いにしえ)の歴史が刻まれた魅力的な地と知り、そして小野田さんの生き様に触れました。

 この神社は、古代紀国の女王、名草戸畔(なぐさとべ)と深いかかわりがあります。伝説によると、神武東征軍との戦いで戦死したとされる女王の遺体は、頭、胴体、足に分断され、3つの神社に埋められました。「頭」を葬られたと言われる宇賀部神社は、通称「おこべさん」と呼ばれています。「頭の神様」として当病平癒を求める人のほか、受験生にも人気を集めます。また、小野田家は名草戸畔の子孫と口伝されます。

 そんな心奪われるストーリーに、小野田さんの人生が上乗せされます。壮絶なサバイバル生活から帰国後、様々な活動をされます。生きる力を育成する「小野田自然塾」を開いたのもその一つ。自殺や引きこもり…、次世代を担う子どもたちの現状を憂い、日本の行く末に心砕かれたことが分かります。私自身、隣町の紀美野町で自然体験プログラムを開催しているのは偶然とは思えません。

 9年前、91歳で亡くなられましたが、最後の手記『生きる』の中には、珠玉の言葉が多くあります。現代が抱える様々な問題の「根っこ」の話、好きな言葉は「不撓不屈(ふとうふくつ)」、古代の伝承に始まる小野田家の負けじ魂のルーツ…、まさに極限状態を生き抜いてきた力強いメッセージの数々です。

 一方で、こんな言葉も残しています。「弱気になる時、最大なる味方は“笑う”ことだった。暮らしの中に、感謝と祈りのこころ、そして笑いを!」

 先行き不透明な時代だからこそ、「笑い」を大事に、今年も過ごしたいものです。

和歌山大学・地域連携専門職員 増山雄大(第1週を担当)

(ニュース和歌山/2023年1月7日更新)