今から72年前の1945年7月9日、和歌山市の市街地の7割が焼かれ、1400人以上が命を落とした「和歌山大空襲」がありました。和歌山市湊本町の市立博物館では、この悲しい出来事を残し、伝えようと、経験者の声を集めた展示会を、7月8日(土)〜8月20日(日)に開きます。

経験者の声集める


 日本がアメリカやイギリスなどと戦った太平洋戦争。45年には日本各地の街にB29という飛行機が飛んできて、たくさんの爆弾を落としました。

 和歌山大空襲は、108機のB29が来て、800㌧もの焼夷弾(建物を焼き払うための爆弾の一種)が降り注ぎ、和歌山城や市街地の大半が燃やされました。

 市立博物館学芸員の髙橋克伸さんは、この悲惨な記憶を残そうと2年前から空襲を経験した人の話を集めています。「高齢化が進み、知る人が少なくなっています。あの日、何があったのかを記録する必要があります」と髙橋さん。

 今回、約70人の体験談をパネルにまとめ、防空頭巾や焼夷弾などと一緒に展示します。髙橋さんは「協力者の多くは当時、小学生。命を落とした人の無念を伝えたいという思いが伝わってきます」と強調します。

よみがえる〝あの日〟


 調査に協力した人に話を聞きました。

 和歌山市の前川典生さん(83)は空襲当時、広瀬国民学校(今の広瀬小学校)6年生。「家も家族も失いました」と振り返ります。空襲の日、午後9時に警戒警報が流れました。お城の東側に住んでいた前川さんが避難を始めたのは10時ごろ。母親と一緒に東に向かって走り、和歌川にかかる大橋に着きました。「橋の向こうは火の海。その中を走り抜けました。生き残るために必死で、熱さは感じませんでした」

 谷脇絢子さん(85)は多くの死者が出たお城の北西、汀公園近くにいました。「翌日も学校があると思い勉強道具を持って逃げました。防空壕(身を守るための穴)から出ると爆風で飛ばされました。焼け落ちるお城や、空中に飛ばされた消防車も見えました。ケガややけどで弟と妹を亡くしました」と語ります。

 2人とも「話しているとあの日の光景が目の前に浮かび、怖かった感覚がよみがえります。戦争のない世界が一番です」と口をそろえています。

写真上=焼け野原になった市街地、同下=博物館には焼夷弾や防毒マスクもある

展示会「昭和20年7月9日 和歌山大空襲─ 伝えたい あの時の記憶」

・7月8日(土)〜8月20日(日)
・和歌山市立博物館ホール
・無料。午前9時〜午後5時、月曜休館 
・同館(073・423・0003)
※7月8日午後2時、映画『和歌山大空襲』と『空襲体験絵巻』を上映。

(ニュース和歌山/2017年7月5日更新)