ぼくの名前は「フク」。小さないなか町にすんでいる。ぼくのかい主は女の子で、名前はじゅんちゃんという。犬に生まれてきた小さなころから、人の役にたつ働く犬になりたいと思っていた。
最初は、けいさつ犬になろうと決めていた。ぼくたち犬は、とてもきゅう覚がすぐれていて、人間よりも千倍から1億倍位、においをかぐ力があるんだ。
得意のきゅう覚で、けいさつ官と協力して悪い人をつかまえる、そんなかっこいい犬になりたかった。シェパードのすがたにあこがれたんだ。
それから、麻薬たん知犬にもなりたいと思った。なぜなら、たくさんお客さんのいる空港で薬物を発見しほめてもらえるなんて最高だ。アメリカのけいさつ犬のえいゆう「ジャッジ」にあこがれたんだ。
かぐ力と言えば、ガンたん知犬もとても人間の役にたつと思う。人間の息やにょうをかぐと、その人がガンという病気にかかっているのかわかる。ぼくはお医者さんにあこがれたんだ。でも、ぼくにはむ理だった。
次の目ひょうは、山がく救じょ犬になることだった。ふぶきの雪山でそうなんしている人をたすけに行くんだ。首にブランデーが入ったたるをぶら下げて。死にそうになっている人を早く見つけるんだ。セントバーナードにあこがれたんだ。
広いぼく場を風を切りながら走り、羊たちをまとめる、ぼく羊犬も気持ちがいいだろうな。何百ぴきという羊たちが、ぼくの思うように動いていく。ボーダーコリーにあこがれたんだ。
やっぱり毎日かい主といっしょにすごせるもうどう犬が一番いいな。白いつえの代わりに、ぼくが安心して街を歩けるようにしてあげる。ラブラドールレトリバーにあこがれたんだ。
でも、ぼくはそのどれにもなれなかった。ぼくは、「トイプードル」。体は小さくて、走るのがおそい。どんなにぼくががんばっても、ぜったいになることはできないのだ。ぼくは、目が見えないのだ。今までぼくが話したことは、一度も見たことがないそうぞうの話だ。
生まれた時からずっと野原をかけ回りたいと思っていた。太陽の光ってどんなに明るいのだろう。春に咲く花の色って何色だろう。ぼくってどんなすがたをして、どんな毛の色をしているんだろう。ぼくは、ぼくのことがわからない。
でも、一番見たいのはかい主のじゅんちゃんのすがただ。やさしいじゅんちゃんの顔を見てみたい。一度でいいから見てみたい。
ぼくはじゅんちゃんに言った。「ぼくって何の役にもたたない犬だね」「そんな事ないよ」「えっ」。ぼくはじゅんちゃんの声のする方に顔を向けた。
「フクちゃん。フクちゃんがいてくれるだけで、私は幸せだよ。だって、フクちゃんがひざの上にいるとフクちゃんの温かさが伝わってくるから。私は、フクちゃんがいないと、毎日がつまらなくなるんだよ。だから、フクちゃんは私の役にたっているんだからね」
生まれて初めて、人の役にたっていると言われた。トイプードルのぼくが、セントバーナードよりも大きくなった気がした。
目には見えていないけれど、心にきれいなにじがかかった。幸福のフク。ぼくの名前だ。
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児童文学作家、嘉成晴香審査員…詩のような語り口に引かれました。主人公のフクを人間の自分に置き換えて読み返すと、涙が出ます。一番大事な伝えたいところを、じゅんちゃんにセリフで言わせずにまとめられたら、もっとずっとよくなったかなと思います。
(ニュース和歌山/2018年1月6日更新)