まなぶ 今週、学校の平和学習で、空襲を体験した人の話を聞くんだ。
お父さん ああ、和歌山大空襲にちなんでだね。
まなぶ 和歌山大空襲?
お父さん うん。1945年の7月9日の深夜、アメリカ軍のB29爆撃機が爆弾を落とし、市街地の7割が焼ける大被害を受けたんだ。
まなぶ そうなんだ。 お父さん まなぶは、日本とアメリカが昔、戦争をしたことを知っているね。空襲は終戦の前の月で、焼夷弾で街は火の海になり、亡くなった人は爆撃で1100人を超えた。その後、けがや病気で亡くなった人を含むと、まだまだ多かったと言われているよ。
まなぶ そんなにたくさんの人が。
お父さん お城が焼け落ちるのを見た人もいるよ。博物館の写真で見ると、昔あった丸正百貨店の骨組みだけが残り、焼け野原だよ。
まなぶ 知らなかったよ。お父さん、詳しいね。
お父さん まなぶの亡くなったひいおじいちゃんが夏にいつも話していたからね。火で起きる強い風で車や人が飛ばされ、翌朝、お城のお堀や内川にたくさんの遺体が浮かんだんだって。「あれこそ地獄。平和がなにより大切」って口癖だったな。
まなぶ ひいおじいちゃんにもっと聞いておけばよかったな。
お父さん 平和学習の時、ひいおじいちゃんと思って話を聞きなよ。忘れてはいけない、和歌山の歴史だよ。
写真=和歌山市役所の北、内川沿いにある中橋のお地蔵さんは犠牲者を供養する
(ニュース和歌山2016年7月6日号掲載)