お父さん 今年とれた新米だぞ。紀の川沿いで育った米だ。
まなぶ たくさんお米とれるの?
お父さん そうだよ。江戸時代の1710年に大畑才蔵という人が小田井用水路を造ったからな。
まなぶ 用水路?
お父さん お米や野菜、果物を育てるために人が造った川だ。小田井用水路は橋本市高野口町小田で紀の川から水を取り、岩出市の根来川まで30㌔も流れているんだ。
まなぶ 長い川を造ったんだね。
お父さん 江戸時代は大きな機械がなかったから人の手で掘ったんだ。大畑さんは工事のお金を節約し、短い時間で造れるよう、水路を25に分けて一斉に作業した。4年で完成したんだ。
まなぶ どうして造ったの?
お父さん 紀の川の北側は水面より高いところが多かったので川の水を農業に使えなかった。大畑さんは、上流から少しずつ低いところへ流れるようにすれば広い土地に水が送れると考え、地面の高さを測る「水盛台」という道具を発明した。川と交わる場所は水路橋や地下水路も造ったんだよ。
まなぶ すごい人だったんだね。
お父さん 水路のおかげで1000㌶の田んぼが新しくでき、暮らしは豊かになった。10月には世界かんがい施設遺産に登録されたぞ。
まなぶ 今も使われているの?
お父さん もちろん。農家の人たちの生活を支えているよ。
写真=今も使われている水路橋
(ニュース和歌山/2017年11月8日更新)