スウェーデンでマスターズ陸上世界選手権に出場してから12年、1989年には和歌山市で国際大会を開催し、11ヵ国1200人以上の参加を得て大盛況でした。
私の挑戦はさらに続きます。次に目指したのは、世界大会誘致。単に外国の参加者を受け入れる国際大会でなく、1975年から2年に1度開かれている世界選手権を日本で開くのです。アジア、ヨーロッパ各地を視察し、県ぐるみで意欲的だった宮崎を候補地に、世界マスターズ陸上事務局に働きかけました。
そのかいあり、93年に宮崎で世界選手権が実現しました。71ヵ国から1万1500人が出場。ハンマー投げの室伏重信さんが45〜49歳の部で世界記録を出し、マラソンでは宗猛さんが優勝した上、君原健二さんや、フランク・ショーターさんらオリンピックの元メダリストが出場したことで、マスターズの知名度が一気に上がったのです。
この後、98年に明石海峡大橋でロードレース世界大会、2001年には全都道府県のマスターズ会員7000人がタスキをつなぐ日本一周健康リレーも実施しました。
「やるべきことはやった」と万感の思いでしたが、その一方、「他競技も合わせてマスターズのオリンピック=マスターズピックを開きたい」との思いが年々強くなってきていました。
まず、水泳やソフトボールの連盟に呼びかけ、6競技で11年に和歌山マスターズクラブを設立。これまでに陸上、水泳の2競技で18歳以上が参加できる国際ゴールドマスターズ大会を2回開きました。来年は競技を増やし、19年には国際選抜マスターズ選手権大会、さらに多くの競技から参加を募り、24年に第1回マスターズピック開催を思い描いています。
いずれは、「オリンピック開催地で、パラリンピック、マスターズピックを開く」。それが私の究極の夢なのです。
写真=宮崎の世界大会に71ヵ国から選手が集った
(ニュース和歌山/2017年10月11日更新)